幻の記録
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/10/12 01:20 UTC 版)
調教師として「幻の記録」をいくつか経験している。 代表的なものは1944年に能力検定競走「長距離特殊競走」として行われた現在の菊花賞である。管理馬カイソウは1位で入線したものの、出走馬全てが走行するコースを間違えたため競走不成立となり、カイソウは失格となってしまった。 また、1948年に優駿競走(日本ダービー)を優勝したミハルオーは実質的には久保田の管理馬であったが、国営競馬への復帰手続きが間に合わなかったため記録上は異母兄・上村大治郎の管理馬とされた。そのため、幻の東京優駿(日本ダービー)2勝目(当時)となった。
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