預言者ナホムとの関連
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/07 21:07 UTC 版)
1847年にこの地域を訪れたオースティン・ヘンリー・ラヤード(英語版)は、「非常に古代にさかのぼる伝統に基づき、この村には、旧約聖書において、「ニネベについての宣告。エルコシュ人ナホムの幻の記録。」という書き出しから始まる預言者ナホムの墓が存在する」と報告した。ヒエロニムスがナホムの出生地をガリラヤだと同定した一方で、ラヤードは碑文や古代の遺物が少ないながらも、エルコシュの伝統を軽く見るべきではない、と考えた。イラクのユダヤ人は、シャブオットの間に遺跡に巡礼を行い「ナホムの墓に巡礼した事のない者は、本当の喜びを知らない。」と述べた。1948年に、ユダヤ人がイラクから追放されるか、あるいはイスラエルに移住した際、ユダヤ人の管理者は建築物の管理を現地のカルデア・カトリック教徒に委託した。2017年に行なわれたある調査によって、構造物に崩壊の危険性があると判定され、その後安定化の作業が始まった。
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