常陸国の木村氏とは? わかりやすく解説

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常陸国の木村氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/12 08:02 UTC 版)

木村氏」の記事における「常陸国の木村氏」の解説

常陸国にも木村氏家系が数流確認される佐竹氏家臣 木村氏本姓源氏とし、清和源氏家系であるという(または、宇多源氏近江源氏 佐々木氏流れとも)。陸奥国菊田郡林下木村にあり、木村名乗ったとされ、永正10年1513年)、木村民部義久佐竹氏より禄280石を給され久慈東郡金砂郷村芦間移ったという。二郎大夫義昌建武年間1334年から1338年)、南北朝合戦に功をあげ、那珂通辰はじめ那珂氏、川野辺氏など南朝諸勢力破ったとされるまた、常陸国には宇多源氏流れを汲む近江源氏木村氏家系があり、元は鎌倉幕府御家人 佐々木四郎高綱属し500貫を給されていたという。始祖木村陸奥守義胤は平治元年1160年)、源義朝討ち死ににより、諸国源氏影を潜めるさなか、義胤子孫三代のうちに常陸国佐竹氏に随い、350貫を給され木村義維は従五位下相模守に任官したとされる別系 弥右衛門直通佐竹義宣秋田転封に際して足軽として平鹿郡横手住まうという。 さらに、『山方町史』には同町に存する木村氏について載せ木村綱宗は文治年間1185年1189年佐々木定綱の臣として仕えた後、佐竹昌義仕えその子 綱俊は佐竹秀義に随い、西金合戦に功ありといい、250貫を賜るといい、太田郷佐都西に住むという。後に延徳3年1491年久慈東郡竹合移り永禄5年1562年2月小貫村大沢平に移住佐竹氏秋田転封後も常陸国内に定住山方村舟尾久慈郡盛金長貫田野にも分家があるという。 家紋宇多源氏流が五つ瓜に四つ目丸に片喰丸に釘抜き丸に立ち沢潟、丸に四つ目丸に四つ目用いるとされ、清和源氏流が丸に花菱家紋用いるという。また藤原流木氏は左三つ巴、左三つ巴丸に下がり藤用いるという。さらに、本姓不詳木村氏対い用いるとされている。

※この「常陸国の木村氏」の解説は、「木村氏」の解説の一部です。
「常陸国の木村氏」を含む「木村氏」の記事については、「木村氏」の概要を参照ください。

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