帝展再改組から終戦までとは? わかりやすく解説

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帝展再改組から終戦まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/22 20:28 UTC 版)

辻永」の記事における「帝展再改組から終戦まで」の解説

1936年昭和11年6月帝展改組のため、第二部文展に辻も参加表明同年文展監査展の審査行った1937年昭和12年4月大阪市立美術館開催され明治大正昭和三聖名作美術展に「無花果畑」が選出され出品された。また同年6月には『辻永邦風油彩花卉画集』を美術工芸会から刊行した同年10月帝展改組によって新しくなった第1回文展審査員として参加、「志賀高原の秋」を出品し京都市美術館買い上げ1939年昭和14年9月師岡三郎死去1940年昭和15年10月紀元二千六百年奉祝美術展委員となり、同展に「秋映ゆ」を出品。翌1941年昭和16年2月フランス領インドシナ半島赴いた政情安定のため直ち帰国した1942年昭和17年)、台湾総督府美術展審査のため制作兼ねて台湾に赴き11月帰京した同年美術団体連盟解消に伴い新しく結成され美術家連盟に辻も他作家40余名と共に参加1943年昭和18年5月には横山大観会長とする日本美術報国会設立、辻は木村荘八と共に同会第二部委員選出された。1944年昭和19年10月第1回軍事援護美術展に「匂ふ山桜」を出品したほか、戦時特別文展には「箱根の秋」を出品した1945年昭和20年5月空襲のため住居焼失した

※この「帝展再改組から終戦まで」の解説は、「辻永」の解説の一部です。
「帝展再改組から終戦まで」を含む「辻永」の記事については、「辻永」の概要を参照ください。

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