帝室保留地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/15 07:42 UTC 版)
大房身地区と南嶺地区の帝宮候補地は、杏花村に帝宮が定められた後も帝室保留地(皇宮関係用地)として残されていた。そのうち、南嶺地区は文教地区として国立総合運動場や動植物園、大学等の用地として整備された。満鉄連京線西側の大房身地区は、将来新京が拡大した際の本宮殿造営地として、200ヘクタールに及ぶ“帝宮保留地”が計画されていたが、数度に亘り建設計画が見直され、最終的に1942年(康徳9年)の国都建設計画の改定で本宮殿の建設計画は廃止され、住宅用地に変更されている。
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