帝大時代
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1926年(大正15年)4月、東京帝国大学文学部仏文科に進学し、本郷区追分町11番地(現・文京区向丘2丁目)の長栄館に下宿した。三高の先輩の梶井基次郎、中谷孝雄らと交友し、三好達治とも知り合った。しかし出世欲の強く計算高かった麟太郎は、彼らの同人誌『青空』とは肌が合わずに同人加入はしなかった。 麟太郎は、中学時代の同級生の藤沢桓夫が大阪高校(現・大阪大学)在学中の1925年(大正14年)3月に始めた同人誌『辻馬車』の方に加わった。藤沢は新感覚派的な「首」を5月に発表して川端康成や横光利一から注目されていた。 麟太郎は、浅草や場末で遊んで登校せず、やがて労働運動に共感を覚え中退した。1929年(昭和4年)1月に『創作月刊』に「凶器」を発表し一部で注目され、同年6月に『文藝春秋』に「暴力」を発表した。この作品は発禁となり部分的に削除されたが、原文を取り寄せた川端康成に文芸時評で「表現の力強いテンポ」などを評価され、武田はプロレタリア作家として文壇に地位を築いた。
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