帝大総長時代の革新的な仕事
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 02:30 UTC 版)
「読み先習の法則」の記事における「帝大総長時代の革新的な仕事」の解説
澤柳は1911年(明治44年)に46歳の時東北帝国大学の初代総長になった。東北帝国大学では日本の大学で初めて女子の入学を許可した。さらに大学が指定した「高等師範学校の卒業生」「高等専門学校の卒業生」も入学試験を受けることができるようにした。当時の東北帝大には若い教授が集まり、研究活動が活発だと澤柳は書いている。澤柳は東北帝大の総長を2年務めた後、京都帝国大学の総長となった。当時はまだ教授の定年制度がなかったが、澤柳は研究の意欲が衰えてしまった教授に対して、総長権限で退職を要求した。澤柳は「有能な教員をひとりでも多く確保する」という方針で行動した。その結果、京都帝国大学の教授たちと対立するようになり、わずか1年で1914年4月に責任を取って辞職した。
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