市場予測に生じた差異
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/20 13:06 UTC 版)
3年連続で市場は拡大したが、ホンダは慎重な将来予測を立てており、「ファミリーバイクはメーカーが能動的に広告や広報を仕掛け、講習会や試乗会など商品に触れる機会を頻繁に設けて、需要を作り出す性格を持つ商品」と分析。また、過去3年間はイメージや話題性が先行した顕在需要から来るもので、販売台数の伸びは一旦踊り場を迎えると踏み、1978年5月の新車「シャレット」発表を最後に、開発資源を中型車に据えた「M(ミドル)計画」実行に移行。並行してファミリーバイクの在庫圧縮に入った。 それに対してヤマハは、1978年末当時の女性の運転免許証取得者は普通免許が累計約800万人、原付免許が累計約200万人、合計で1000万規模の潜在需要があると睨み、さらに男子大学生などにもユーザー層が広がると見ていた。増産体制を維持しつつ、新モデル開発にも力を入れ、1979年春には「キャロット」「マリック」「リリック」を矢継ぎ早に投入した。 このような両社の戦略差は、1979年1月の生産台数統計に表れた。ヤマハが単月ベースでホンダを抜いて首位に立った一方、需要はホンダの予測どおり陰りを見せ始め、同年1 - 4月の出荷台数は前年比10%落ち込みを見せる。ただしホンダが在庫調整のため出荷を36%落としたのに対し、ヤマハやスズキは生産水準を維持。6月単月のオートバイ総出荷数シェアではホンダ32%に対しヤマハが36%、上半期累計ではかろうじてホンダは40%と首位を維持したが、2位のヤマハは36%と肉薄し、ファミリーバイクに限ればホンダの34%に対しヤマハは49%と圧倒的優位に立った。
※この「市場予測に生じた差異」の解説は、「HY戦争」の解説の一部です。
「市場予測に生じた差異」を含む「HY戦争」の記事については、「HY戦争」の概要を参照ください。
- 市場予測に生じた差異のページへのリンク