市制・町村制施行までとは? わかりやすく解説

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市制町村制施行まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 16:35 UTC 版)

江戸川区の町名」の記事における「市制町村制施行まで」の解説

江戸川区は、昭和7年1932年10月1日従前南葛飾郡小岩町小松川町松江町瑞江村鹿本村篠崎村葛西村の3町4区域をもって成立した当時東京市の区であった)。以下、明治時代初期から江戸川区成立まで行政区画変遷について略述する。 現在の江戸川区区域は、かつては武蔵国葛飾郡属し近世末には以下の37存在した。 下小岩村中小岩村上小岩村伊予田村小岩田中平井村下平井村逆井(さかさいむら)、東小松川西小松川村、東船堀村西船西一之江上一色本一色(もといっしきむら、ほんいっしきむら)、興野宮村(おきのみやむら)、松本村鹿骨(ししぼねむら)、上篠崎、下篠崎村伊勢屋、上鎌田村、笹ケ崎村下今井、二之江村上今井、下鎌田村当代島前野、東一之江村新堀村しんぼりむら)、一之江新田谷河内(やごうちむら)、長島村桑川村、東宇喜田西宇喜田村(東船堀村西船幕末期船堀村東西分村したもの) なお、荒川放水路開削に伴う町村再編や、旧江戸川挟んで対岸位置する千葉県東葛飾郡東京府南葛飾郡境界変更などの要因により、上記37範囲現行の江戸川区範囲と完全には一致しない明治維新以降、これらの武蔵知県事支配経て小菅県続いて東京府属したその後明治4年7月1871年8月)の廃藩置県実施までの過渡期には複雑な変遷経ている。 慶応4年7月17日1868年9月3日)、「江戸ヲ称シテ東京ト為スノ詔書」が発せられ、それまでの「江戸」が「東京」改称され東京府設置された。なお、慶応4年9月8日1868年11月18日)に「明治」に改元している。現・江戸川区区域存在したは、武蔵知県事支配経て明治2年1月13日1869年2月)に発足した小菅県編入された。 明治4年7月1871年8月)、廃藩置県実施された。同年11月1872年1月)、従来東京府品川県小菅県廃止されて、新し東京府設置された。これに伴い同年から翌年にかけて品川県小菅県町村東京府編入され小菅県属していた前述々も東京府編入されることとなった同年11月1872年1月)、府内は6大区97小区分けられた(いわゆる大区小区制)。明治7年1874年3月区割り見直されあらため11大区103小区設置された。後に江戸川区となる区域は第11大区4〜6小区属したその後郡区町村編制法施行に伴い大区小区制廃止され明治11年1878年11月2日東京府下に15区6郡(荏原南豊島、北豊島、東多摩南足立、南葛飾)が置かれた。後に江戸川区となる区域は、このうち南葛飾郡属していた。

※この「市制町村制施行まで」の解説は、「江戸川区の町名」の解説の一部です。
「市制町村制施行まで」を含む「江戸川区の町名」の記事については、「江戸川区の町名」の概要を参照ください。

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