差別的表現をめぐる見解
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/09 15:19 UTC 版)
「満韓ところどころ」の記事における「差別的表現をめぐる見解」の解説
作中で使われている「チャン」という中国人の呼称や労働者(クーリー)の描写は、漱石の帝国主義・植民地主義に基づく差別的な表現として、日本国内外の研究者の批評検討の対象となっている。 批判的な立場からは、韓国の研究者である朴裕河が、クーリーを不潔とみなす箇所について、これは帝国主義的な国家衛生思想に根ざすものであり、帝国主義の正当化と主張している。また「満韓ところどころ」の中国語訳者の王成は、蔑称であるチャンという言葉が使われていることから、当時欧米から蔑視を受けた日本の知識人階級が中国人に対し持っていた差別的意識が漱石からも感じ取れると述べている。 一方アメリカ人研究者のジョシュア・フォーゲルは、漱石が中国人に好意的であったか否かについて分析することには意味がなく、差別的とみられる表現法は、現実を描写する手法に過ぎないと主張している。その理由として、そのような表現は「風刺」「あてこすり」のためのものであること、作中には侮蔑のみでなく中国人への賞賛の言葉もみられることを挙げている。 また米田利昭は、クーリーを貶めることによって諧謔的に中村是公らをけなす意図があると評し、伊豆利彦は、国家権力の影響下にありつつ文学者としての表現法を工夫した結果作られた滑稽化された文体であると評している。 朝日新聞文化グループ記者の牧村健一郎は、漱石は満州を満鉄の全面的な支援で旅する社会的意味を知っていたと推察し、政治的・社会的な文脈を消すために気楽な同窓会旅行のスタイル、戯作じみた文章が選ばれたと考え、差別的表現も『坊つちゃん』の文章にも見られる戯作的な誇張表現とする。また漢詩文に親しみ中国文化を深く尊敬していた漱石には時代に悪乗りした差別感情はあったとは思えないという見方を述べている。
※この「差別的表現をめぐる見解」の解説は、「満韓ところどころ」の解説の一部です。
「差別的表現をめぐる見解」を含む「満韓ところどころ」の記事については、「満韓ところどころ」の概要を参照ください。
- 差別的表現をめぐる見解のページへのリンク