工作活動説に対する反論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/20 14:35 UTC 版)
警察白書によれば、竹島の帰属問題をめぐっては、平成8年(1996年)以降、延べ数百団体が数百台の街宣車を用いて全国各地で街宣活動を展開し、韓国大使館への車突入、韓国総領事館付近への火炎瓶投擲といった事件を引き起こしている。河原博史・同血社会長のように、自らの小指を切断して勧告文と共に盧武鉉韓国大統領に送りつける者もいた。 韓国大統領来日時にも、靖国神社や歴史教科書問題への抗議のために延べ数十団体が韓国を批判する街宣活動をした。在日韓国・朝鮮人の権利拡大にも反対し、永住外国人に対する地方参政権付与問題、地方公共団体における公務員の国籍条項撤廃について反対する街宣活動を行なった右翼団体があることを警察白書は報告している。実際、大行社のホームページのトピック には中国だけでなく韓国・北朝鮮に対する批判と警戒感が表されている。 また、昭和49年(1979年)2月にNHKが放送したドキュメンタリー番組『ルポルタージュにっぽん』の「ある右翼の誕生」という回では、元暴走族の在日韓国・朝鮮人二世の青年たちが街宣活動する右翼団体を取材。在日の暴走族が右翼になったのは、道路交通法改正によって出来なくなった集団走行が街宣車に乗れば、政治活動になり表現の自由ということで検挙されないという単純な動機であった。日本社会の中で行き場のない在日の少年はとにかく集まりたいということで、クリーニング店を営む右翼の代表者の事務所が彼らのたまり場となっていた。なお、暴走族の右翼団体入りは、昭和53年(1978年)の道路交通法改正で行き場を失った暴走族に呼びかけて、左翼に対抗して少年を動員しようと呼びかけたことが大きかったが、数年のうちにほとんどが右翼活動から脱落していった。新宿の暴走族マッド・スペシャルが結成した国防青年隊も100人いた隊員は8年後には3名から4名だった。
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