川崎河港水門とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 建物・施設 > 路線 > 運河 > 川崎区の運河 > 川崎河港水門の意味・解説 

川崎河港水門

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/10 06:31 UTC 版)

川崎河港水門
情報
用途 河港施設
設計者 金森誠之/内務省多摩川改修事務所
構造形式 鉄筋コンクリート
高さ 高さ20.3メートル、水門幅10.0メートル
竣工 1928年(昭和3年)3月
所在地 210-0807
神奈川県川崎市川崎区港町66番地先
座標 北緯35度32分10.4秒 東経139度43分00.8秒 / 北緯35.536222度 東経139.716889度 / 35.536222; 139.716889座標: 北緯35度32分10.4秒 東経139度43分00.8秒 / 北緯35.536222度 東経139.716889度 / 35.536222; 139.716889
文化財 国の登録有形文化財(建造物)
指定・登録等日 1998年(平成10年)9月25日登録
テンプレートを表示
川崎
河港水門
所在地。

川崎河港水門(かわさきかこうすいもん)は、川崎市川崎区港町地先の多摩川にある水門。国の登録有形文化財(建造物)に登録されている[1]

沿革

多摩川の河口に近い右岸(南岸)に位置する。1918年(大正7年)から行われた多摩川改修工事の一環として、川崎市内を縦断する運河を造ることが計画された。川崎河港水門は、運河と多摩川を仕切る水門として、1928年(昭和3年)3月に竣工した。

水門建設は、内務省多摩川改修事務所長であった、金森誠之の申し出を受けて、味の素がその建設費用を寄付金として負担したもので、現在も水門付近が味の素の管理地となっている。

川崎運河計画の一環として完成するも、社会情勢の変化により運河建設計画は中止され、部分完成していた運河はほとんどが埋め立てられ、運河は水門近くの船溜りとして残るのみとなっている。

しかし水門自体は残り、砂利の陸揚げ施設として、砂利運搬船等の出入りに現在も利用されている。

水門の上部には川崎市の市章と、往時の川崎の名産物であった梨・ブドウ・桃などをモチーフとした装飾がある[2]。1998年(平成10年)に国の登録有形文化財に登録された[1]

交通

京急大師線港町駅」または「鈴木町駅」下車、徒歩5分

脚注

  1. ^ a b 文化庁. “川崎河港水門”. 文化遺産オンライン. 2024年2月10日閲覧。
  2. ^ 川崎市建設緑政局道路河川整備部河川課. “川崎河港水門”. 川崎市. 2024年2月10日閲覧。

関連項目

外部リンク




川崎河港水門と同じ種類の言葉


固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「川崎河港水門」の関連用語

川崎河港水門のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



川崎河港水門のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
文化庁文化庁
Copyright © 2025 The Agency for Cultural Affairs. All rights reserved.
文化庁文化庁
Copyright (c) 1997-2025 The Agency for Cultural Affairs, All Rights Reserved.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの川崎河港水門 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS