島原鉄道キハ26形・キハ55形とは? わかりやすく解説

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島原鉄道キハ26形・キハ55形

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 02:27 UTC 版)

国鉄キハ55系気動車」の記事における「島原鉄道キハ26形・キハ55形」の解説

島原鉄道島鉄)では、1958年からキハ20形自社発注車)を使用して長崎本線諫早 - 長崎間への直通運転実施していたが、国鉄準急列車への併結実施するため1960年国鉄キハ26形キハ55形準じた気動車製造した。これが島鉄キハ26形キハ55形であり、1960年キハ26形2両 (2601・2602)が新三菱重工業(現・三菱重工業)で、キハ55形4両が帝國車輛工業(5501・5502)・富士重工業(現・SUBARU、5503)・新三菱重工業(5505)で、1963年キハ55形1両(5506)、1964年キハ26形1両(2603)がともに川崎車輌現・川重工業車両カンパニー)で新製され、国鉄準急急行出島」・「弓張」に併結し、博多小倉への直通運転実施したいずれも両運転台車であり、キハ26形には座席定員キハ55形同一に保ちつつ、苦し配置ながらもトイレ設置された。1960年製造車空気ばね台車装着最終増備車となった19631964年製車は、国鉄キハ58系並み前照灯シールドビーム2灯式に変更し前面上部左右に振り分けて設置したほか、台車国鉄向け同系車と共通のDT22形・TR51形相当に変更された。 1970年代に入ると併結相手となる国鉄側の急行気動車冷房化進捗したこともあり、引き続き博多直通急行列車として使用するキハ26形に対しては、1972年に3両全車が電源エンジンとAU13形分散式冷房装置搭載する改造施工されたが、1980年10月ダイヤ改正国鉄直通廃止となったため以後自社線内のみで運用された。一方キハ55形は非冷房かつ2エンジン車のままで、国鉄線の急行列車冷房化完了した1973年以降長崎直通普通列車運用充当され国鉄直通全廃された1980年以降はこちらも自社線内運用充当された。 1994年からキハ2500形増備により廃車開始されキハ26形1997年に、キハ55形2000年全廃された。

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