島名と伝説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/06 07:23 UTC 版)
誓願島は千貫島、小倉島とも称する。誓願島・千貫島には、次のような島名由来伝説がある。 戦国時代初期の鳥羽(泊浦)を治めていた橘宗忠は、この島と相島(ミキモト真珠島)に船番所を設け、鳥羽港に入港する船から帆別銭と呼ばれる入港税を徴収して生計を立てていた。その額は1,000貫に達し、供仏施僧の報徳会をここで開いた。そこでこの島を千貫島と呼ぶようになった。 江戸時代の 坂手島では、毎年元旦(旧正月)に伊勢神宮(外宮・内宮双方)へ島民を挙げて参詣し、その帰路にこの島へ立ち寄り、神酒や米を備え、小謡を謡い、一同で大漁と海上安全を 祈願(誓願)する風習があった。そこでこの島を誓願島と呼ぶようになった。 この島は鳥羽港に出入りする航路上にあり、廻船を営む人々の間で除去しようという話になった。その見積額が1,000貫であったため、この島を千貫島と呼んで讃えるようになった。
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