島原鉄道列車正面衝突事故
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 23:16 UTC 版)
「日本の鉄道事故 (1950年から1999年)」の記事における「島原鉄道列車正面衝突事故」の解説
1992年(平成4年)11月3日 19時30分ごろ(列車衝突事故) 島原鉄道・阿母崎 - 吾妻間において、加津佐行き下り列車(2000形気動車1両編成)と諫早行き上り列車(2000形気動車1両編成)が正面衝突し、乗客74名が負傷(うち1名は事故後2週間後に死亡)。事故車両は2両とも廃車となっている。 原因は、上り列車運転士が、別の列車を運転していると思い込み、また車掌も出発信号機の現示を確認しないまま出発合図を出したことにより、所定の交換駅である吾妻駅で下り列車の到着を待たずに出発信号機の停止現示を冒進して発車してしまったため。事故当時、同線にATSは設置されていなかった。 当時同線は、前年に発生した雲仙普賢岳の噴火災害により一部区間が不通になるなど甚大な被害を受けた最中での事故で、同社の経営に深刻なダメージを与えた。作家の種村直樹は、雲仙噴火被害発生以来、島原鉄道への救援カンパ呼び掛けの活動を行っていたが、この事故をきっかけに、輸送機関としての基本である安全を守る姿勢に問題ありとの立場から支援を中止した。 事故後同線はダイヤの改正を実施、交換駅の統一を進めたほか、事故から1年後の1993年12月までにATSの整備を完了している。
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