島の形成とリン鉱石鉱床
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/05 01:31 UTC 版)
沖大東島はフィリピン海北西部にある沖大東海嶺の最高部である。フィリピン海には沖大東海嶺の他、南大東島、北大東島がある大東海嶺、そして大東海嶺の北側には奄美海台があり、それぞれ琉球海溝に直交するように北西から南東方向へ九州・パラオ海嶺まで延びている。沖大東海嶺は島弧を形成する地殻が沈降したものと考えられており、基盤は白亜紀後期の深成岩などによって形成されている。沖大東海嶺は始新世には浅い海であったと考えられ、浅海性の石灰岩が広く堆積した。その後鮮新世になると遠洋性である石灰質の泥岩が堆積している。 フィリピン海プレートの移動に伴って沖大東海嶺は北西方向へと移動している。フィリピン海プレートは沈み込み帯である琉球海溝に近づくと屈曲し、その影響で「海溝周縁隆起帯」と呼ばれる隆起帯が形成される。沖大東島、そして南大東島、北大東島はそれぞれ、プレートの移動によって海溝周縁隆起帯に差し掛かったため隆起して陸化した。南大東島、北大東島は約160万年前から200万年前に海溝周縁隆起帯に入って陸化したものと考えられているが、沖大東島はそれよりも遅く、約50万年前から60万年前に海溝周縁隆起帯に入って陸化したと見られている。 南大東島、北大東島は環礁が隆起した隆起環礁であり、中央部に礁湖の跡である明確な凹地が形成されている。一方、沖大東島は中央部に凹地があるものの周囲の高地との高低差は10メートルから15メートル程度で、元来、環礁のような礁湖があったものと推定されているが、その規模は小さく水深も浅かったと考えられている。しかし礁湖が無いサンゴ礁の隆起地形である隆起卓礁とするのは、礁湖の跡である凹地が形成されているため不適切であり、隆起環礁と隆起卓礁の中間的性質の隆起準卓礁に分類されている。 隆起が進む中で沖大東島では海岸段丘が形成され、更新世の4つの段丘面が確認できる。これははっきりとした段丘面が形成されていない南大東島、北大東島の地形との大きな違いのひとつである。沖大東島で海岸段丘が発達したのは、南大東島、北大東島と比べて海山部分の傾斜が緩やかであったからと考えられている。急斜面の南大東島、北大東島では隆起に伴って段差が生じにくいのに対して、傾斜が緩やかであるため段丘面が形成されたのである。 陸化が進む中で沖大東島では多くの海鳥が生息するようになった。海鳥の糞が堆積してグアノが生成され、更にグアノ中のリン酸が石灰岩と反応することによってリン鉱石が形成されていった。沖大東島では1911年から1944年にかけて約160万トンのリン鉱石が採掘された。1978年の調査によれば、リン鉱石の残存推定埋蔵量は約350万トンである。 そして1911年から1944年にかけてのリン鉱石採掘によって沖大東島の地形は大きく改変された。元来、島の中心部は標高約15メートル程度で比較的平坦であったものが、大きな陥没を生じて最底部からは海水がしみ出すようになっており、また島内の地形全体も表層のリン鉱石採掘によって岩石が林立した凹凸が激しい地形となっている。
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