岩塚町
岩塚町
岩塚町
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/25 00:44 UTC 版)
岩塚町
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岩塚古墳
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北緯35度9分18.29秒 東経136度50分37.71秒 / 北緯35.1550806度 東経136.8438083度 | |
国 | ![]() |
都道府県 | ![]() |
市町村 | ![]() |
区 | 中村区 中川区 |
人口
(2019年(平成31年)2月1日現在)[WEB 1]
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• 合計 | 4,499人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 | |
市外局番 | 052 (名古屋MA)[WEB 4] |
ナンバープレート | 名古屋 |
岩塚町(いわつかちょう)は、愛知県名古屋市中村区と中川区にある町名。現行行政地名は岩塚町1丁目から5丁目と53の小字。住居表示未実施[WEB 5][WEB 6]。
地理
名古屋市中村区岩塚町は同区南西部に位置し、東は豊国通と並木、西は中川区富田町大字万場、南は野田町、北は岩塚本通、北西は宮塚町に接する。
字一覧
岩塚町とその前身である岩塚村の小字は以下の通り[WEB 7]。現存する小字のうち、中川区岩塚町に所在するものには★を、中村区岩塚町に所在するものには■を付す。消滅した字については背景色 で示す。
字 | 字 |
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足洗(あしあらい) | 浅蔵浦(あさぞううら) |
畔道(あぜみち)■ | 一軒立切(いっけんたちきり)■ |
一色前西ノ割(いしきまえにしのわり)■ | 一色前南ノ割(いしきまえみなみのわり)■ |
一丁田(いっちょうだ)[注釈 1] | 一里山(いちりやま)■ |
院才(いんざい) | 杁脇(いりわき)■ |
鶉打場(うずらうちば)[注釈 2]■ | 押木田(おしきだ) |
大池(おおいけ)■ | 折戸(おりと)[注釈 3] |
株榎(かぶえのき) | 上小路(かみこうじ)■[注釈 4] |
川添(かわぞえ)■ | 神田(かんだ)■[注釈 5] |
狐屋敷(きつねやしき) | 木戸際(きどぎわ) |
九反所(くたんじょ)■[注釈 6] | 小池(こいけ)■ |
郷中(ごうなか)■[注釈 7] | 小鴨(こがも) |
小鴨上り(こがもあがり)[注釈 8] | 五反城(ごたんじょう)■ |
五反田(ごたんだ)■ | 栄花田(さかえはなだ)[注釈 9] |
社宮神(しゃぐうじん)■ | 順礼池(じゅんれいいけ)■ |
城前(しろまえ)■ | 神明西(しんめいにし)■ |
神明西川添(しんめいにしかわぞえ)■ | 新屋敷(しんやしき)■ |
末起(すえおこし)[注釈 10]■ | 銭亀(ぜにがめ)■ |
ソブタ[注釈 11] | 高道(たかみち)■ |
弾子宮(だんごのみや) | 地子坊(ぢこぼう)■ |
茶ノ木島(ちゃのきしま)■[注釈 12] | 堤塘(ていとう)[注釈 13] |
天神松南(てんじんまつみなみ) | 寺裏(てらうら) |
寺西(てらにし)■ | 道願田(どうがんだ) |
中葉抜(なかばぬき)[注釈 14] | 流レ(ながれ)■ |
七畝割(ななせわり) | 浪打(なみうち) |
二ノ坪(にのつぼ)[注釈 15] | 二町田(にちょうだ)[注釈 16] |
西枝(にしえだ)■ | 西起(にしおこし)■ |
西影ノ越(にしかげのこし)■[注釈 17] | 西中深(にしなかふか)[注釈 18] |
西野岸(にしのぎし) | 西柳瀬(にしやなせ)[注釈 19] |
猫塚(ねこつか) | 八反田(はったんだ) |
半丈田(はんじょうだ) | 東影之越(ひかしかげのこし)■ |
東大蟷(ひがしおおたこ)[注釈 20] | 東中深(ひかしなかふか) |
東ノ割(ひがしのわり) | 東野岸(ひがしのぎし) |
深草(ふかくさ)■ | 分杭下(ぶんくいした)■ |
干鮹(ほしだこ)[注釈 21]■ | 本地(ほんじ)★■ |
本地入口(ほんじいりぐち)■ | 本陣屋敷(ほんじんやしき)■ |
万吉(まんきち) | 三ツ割(みつわり) |
南鶉打場(みなみうずらうちば)[注釈 22]■ | 南社宮神(みなみしゃぐうじん)■ |
宮浦(みやうら) | 宮西(みやにし)■ |
宮東(みやひかし)■ | 宮前(みやまえ)■ |
向田(むかいだ)■ | 八劔東(やつるぎひがし) |
八ツ屋道(やつやみち)■ | 山(やま)■[注釈 23] |
山堤付(やまつつみつけ)■[注釈 24] | 山西(やまにし)■ |
用水附(ようすいつけ)[注釈 25] | 横手穴(よこてあな)■[注釈 26] |
横手堤付(よこてつつみつけ)■[注釈 27] | 竜子田(りゅうこだ)■[注釈 28] |
林高寺東(りんこうじひかし)■ | 辻前(つじまえ)[注釈 29] |
河川
歴史
七所社の境内には「岩塚古墳」と称される小規模な円墳があり、古墳時代末の築造と推定されている[1]。七所社は15世紀修造の記録が残る古社で、式内社「御田神社」の有力な論社となっている[2]。
町名の由来
江戸期の愛知郡岩塚村を前身とする。岩のあるスカ(砂地、州)または地内にある七所社の境内にある古墳に由来するとされる[3]。古くは「岩墓」とも書いた[4]。
地名は鎌倉期には既に確認でき、1316年(正和5年)付『熱田太神宮領別納等注進状写』に「岩墓郷...愛智郡」とある[4]。1354年(文和3年)付の『熱田社領目録案』にも「岩墓郷」とあり、中世には熱田神宮領があったらしい[4]。室町期の『尾張国目代光守注進状』には国衙領として「愛智 岩塚」と記録がある[4]。
行政区画の変遷
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- 1889年(明治22年)10月1日 - 町村制に基づく愛知郡岩塚村となる[5]。
- 1906年(明治39年)5月10日 - 合併に伴い、常磐村大字岩塚となる[5]。
- 1921年(大正10年)8月22日 - 名古屋市中区へ編入し、同区岩塚町となる[5]。
- 1930年(昭和5年)6月20日 - 一部が花池町・長草町となる[5][6]。
- 1937年(昭和12年)10月1日 - 行政区変更に伴い、中川区所属となる[5]。
- 1944年(昭和19年)2月11日 - 一部が中村区へ編入され、同区岩塚町が成立[5][6]。
- 1954年(昭和29年)10月1日 - 中村区岩塚町字五反城の一部により同区五反城町1丁目・2丁目・3丁目が、岩塚町字五反城・向田・七畝割・足洗の各一部により五反城町4丁目が、岩塚町字向田・足洗・七畝割の各一部により五反城町5丁目・6丁目・7丁目・8丁目がそれぞれ成立する[7][6]。
- 1959年(昭和34年)5月1日 - 中村区岩塚町字向田・猫塚の各一部が同区豊国通6丁目に、岩塚町字向田・足洗・七畝割・西柳瀬の各一部が岩塚本通1丁目に、岩塚町字西柳瀬・折戸の各一部が岩塚本通2丁目に、岩塚町字折戸・二町田・中葉抜・道願田の各一部が岩塚本通3丁目に、岩塚町字中葉抜・道願田・株榎・辻前・八反田の各一部が岩塚本通4丁目に、岩塚町字株榎・辻前・浅蔵浦・ソブタの各一部が岩塚本通5丁目に、岩塚町字宮東・上小路・新屋敷・林高寺東の各一部が岩塚本通6丁目にそれぞれ編入される[7][6]。また、岩塚町字向田・猫塚・七畝割の各一部により岩塚町1丁目が、岩塚町字折戸・西柳瀬・浪打の各一部により岩塚町2丁目が、岩塚町字折戸・二町田・浪打・栄花田・道願田の各一部により岩塚町3丁目が、岩塚町字道願田・八反田の各一部により岩塚町4丁目が、岩塚町字八反田・浅蔵浦・辻前の各一部により岩塚町5丁目がそれぞれ設定される[7]。
- 1960年(昭和35年)
- 1966年(昭和41年)1月26日 - 中村区岩塚町字五反城の一部が同区鈍池町3丁目に、岩塚町字五反城・向田の各一部が沖田町にそれぞれ編入される[8][10][11]。
- 1969年(昭和44年)3月13日 - 中村区岩塚町の一部が同区並木一~二丁目となり、一部を長草町へ編入[6]。
- 1980年(昭和55年)9月7日 - 中川区岩塚町の一部を同区八田町へ編入[5]。
世帯数と人口
2019年(平成31年)2月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[WEB 1]。
区 | 町丁 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|---|
中村区 | 岩塚町 | 1,996世帯 | 4,475人 |
中川区 | 岩塚町 | 19世帯 | 24人 |
計 | 2,015世帯 | 4,499人 |
学区
市立小・中学校に通う場合、学校等は以下の通りとなる[WEB 8]。また、公立高等学校に通う場合の学区は以下の通りとなる[WEB 9]。なお、小学校は学校選択制度を導入しておらず、番毎で各学校に指定されている。
区 | 丁目・字 | 小学校 | 中学校 | 高等学校 |
---|---|---|---|---|
中村区 | 岩塚町1~5丁目 | 名古屋市立岩塚小学校 | 名古屋市立御田中学校 | 尾張学区 |
岩塚町字一軒立切、岩塚町字杁脇、岩塚町字大池 岩塚町字上小路、岩塚町字神田、岩塚町字九反所 岩塚町字五反田、岩塚町字新屋敷、岩塚町字高道 岩塚町字茶ノ木島、岩塚町字流レ、岩塚町字西枝 岩塚町字本地入口、岩塚町字竜子田 岩塚町字林高寺東 |
||||
岩塚町字一色前西ノ割、岩塚町字一色前南ノ割 | 名古屋市立稲西小学校 | 名古屋市立豊正中学校 | ||
岩塚町字一里山、岩塚町字押木田、岩塚町字小池 岩塚町字万吉、岩塚町字三ツ割 |
名古屋市立八社小学校 | 名古屋市立御田中学校 | ||
岩塚町字向田 | 名古屋市立千成小学校 | 名古屋市立豊国中学校 | ||
岩塚町字郷中、岩塚町字城前 | 名古屋市立岩塚小学校 名古屋市立八社小学校 |
名古屋市立御田中学校 | ||
中川区 | 岩塚町字本地 | 名古屋市立常磐小学校 | 名古屋市立長良中学校 |
交通
施設
- 岩塚町七所社境内に遺る古墳[12]。前述のように「岩塚」の地名の由来ともされる。
-
三菱重工業岩塚工場(2016年8月)
その他
日本郵便
- 集配担当する郵便局は以下の通りである[WEB 10]。
区 | 町丁 | 郵便番号 | 郵便局 |
---|---|---|---|
中村区 | 岩塚町 | 453-0862[WEB 2] | 中村郵便局 |
中川区 | 岩塚町 | 454-0901[WEB 3] | 中川郵便局 |
脚注
注釈
- ^ 『名古屋市会決議録』の一部に「一町田」と表記するものがある。
- ^ 1882年の『明治十五年愛知縣郡町村字名調』では「鶁打場(むくうちば)」としている。
- ^ 1882年の『明治十五年愛知縣郡町村字名調』では、読みを「おりど」としている。
- ^ 1882年の『明治十五年愛知縣郡町村字名調』では、読みを「かみこじ」としている。
- ^ 1882年の『明治十五年愛知縣郡町村字名調』では「神田(じんでん)」としている。
- ^ 1882年の『明治十五年愛知縣郡町村字名調』では、読みを「くたんしょ」としている。
- ^ 1882年の『明治十五年愛知縣郡町村字名調』では「郷中(ごうちう)」としている。
- ^ 1882年の『明治十五年愛知縣郡町村字名調』では「小鴨上リ(こかもあかり)」としている。
- ^ 1882年の『明治十五年愛知縣郡町村字名調』では「栄花田(えいげた)」としている。
- ^ 1882年の『明治十五年愛知縣郡町村字名調』では「未起(ひつじおこし)」としている。
- ^ 『名古屋市会決議録』の一部に「ソブ田」と表記するものがる。
- ^ 1882年の『明治十五年愛知縣郡町村字名調』では「茶ノ木島(ちゃのきじま)」としている。
- ^ 1882年の『明治十五年愛知縣郡町村字名調』にこの字の記載はない。
- ^ 1882年の『明治十五年愛知縣郡町村字名調』では「中葉秡(なかばぬき)」としている。
- ^ 『名古屋市会決議録』の一部に「二之坪」と表記するものがある。
- ^ 1882年の『明治十五年愛知縣郡町村字名調』では「二丁田(にちょうだ)」としている。
- ^ 1882年の『明治十五年愛知縣郡町村字名調』では「西影之越(にしかけのこし)」としている。
- ^ 『日本 町字マスターデータセット』では、読みを「にしなかぶか」としている。
- ^ 1882年の『明治十五年愛知縣郡町村字名調』にこの字の記載はない。
- ^ 1882年の『明治十五年愛知縣郡町村字名調』では「東大蟷(ひがしだいとう)」としている。
- ^ 1882年の『明治十五年愛知縣郡町村字名調』では「干鮹山(ひだこやま)」としている。
- ^ 1882年の『明治十五年愛知縣郡町村字名調』では「南鶁打場(みなみむくうちば)」としている。
- ^ 1882年の『明治十五年愛知縣郡町村字名調』にこの字の記載はない。
- ^ 1882年の『明治十五年愛知縣郡町村字名調』では、読みを「やまつつみつき」としている。
- ^ 1882年の『明治十五年愛知縣郡町村字名調』では「用水附(ようすいつき)」としている。『日本 町字マスターデータセット』では「用水付(ようすいつけ)」としている。
- ^ 1882年の『明治十五年愛知縣郡町村字名調』にこの字の記載はない。
- ^ 1882年の『明治十五年愛知縣郡町村字名調』では、読みを「よこてつつみつき」としている。
- ^ 1882年の『明治十五年愛知縣郡町村字名調』では、読みを「りゅうごだ」としている。
- ^ 1882年の『明治十五年愛知縣郡町村字名調』にこの字の記載はない。
出典
WEB
- ^ a b “町・丁目(大字)別、年齢(10歳階級)別公簿人口(全市・区別)”. 名古屋市 (2019年2月20日). 2019年2月20日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2019年2月10日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2019年2月10日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2019年1月6日閲覧。
- ^ “中村区の町名一覧”. 名古屋市 (2015年10月21日). 2019年2月13日閲覧。
- ^ “中川区の町名一覧”. 名古屋市 (2015年10月21日). 2019年2月13日閲覧。
- ^ “名古屋市道路認定図”. 名古屋市. 2020年11月20日閲覧。「名古屋市中村区岩塚町」のページを参考とした。
- ^ “市立小・中学校の通学区域一覧”. 名古屋市 (2018年11月10日). 2019年1月14日閲覧。
- ^ “平成29年度以降の愛知県公立高等学校(全日制課程)入学者選抜における通学区域並びに群及びグループ分け案について”. 愛知県教育委員会 (2015年2月16日). 2019年1月14日閲覧。
- ^ 郵便番号簿 平成29年度版 - 日本郵便. 2019年02月10日閲覧 (PDF)
文献
- ^ “第五節 名古屋の古墳時代の変貌” (PDF). 2025年7月25日閲覧。
- ^ 横地清 1992, p. 11.
- ^ 名古屋市計画局 1992, p. 250.
- ^ a b c d “岩塚郷”. JLogos. 角川地名大辞典. 2025年7月25日閲覧。
- ^ a b c d e f g 名古屋市計画局 1992, p. 820.
- ^ a b c d e f g 名古屋市計画局 1992, p. 777.
- ^ a b c d 中村区制施行50周年記念事業実行委員会記念誌編集委員会 1987, p. 441.
- ^ a b c 中村区制施行50周年記念事業実行委員会記念誌編集委員会 1987, p. 442.
- ^ 名古屋市計画局 1992, p. 773.
- ^ 名古屋市計画局 1992, p. 775.
- ^ 名古屋市計画局 1992, p. 776.
- ^ 名古屋市役所経済局文化財調査保存委員会 1954, p. 3.
参考文献
- 名古屋市役所経済局文化財調査保存委員会『名古屋史蹟名勝紀要』芸術案内社、1954年12月25日。
- 中村区制施行50周年記念事業実行委員会記念誌編集委員会 編『中村区誌―中村区制施行50周年記念―』中村区制施行50周年記念事業実行委員会、1987年10月1日。
- 名古屋市計画局『なごやの町名』名古屋市計画局、1992年3月31日。
関連項目
外部リンク
ウィキメディア・コモンズには、岩塚町に関するカテゴリがあります。
- 岩塚町のページへのリンク