岡崎市助役に就任
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1955年(昭和30年)4月に竹内京治が岡崎市長選挙に3選。同年6月、手腕と功績を買われ、助役に抜擢される。戦災復興とこれに伴う都市計画事業推進のほか、数多くの近代工場の誘致に尽力した(後述)。1959年(昭和34年)4月、義兄の太田光二が市長選に立候補し、4選を狙う竹内を破る。 1967年(昭和42年)6月28日、任期満了により助役を退任。退任後は、名鉄グループが出資設立した康生通西の西三河総合ビル、岡崎陸運株式会社を前身とする岡陸タクシーの各代表取締役を務め経済界でも活躍した。 1969年(昭和44年)7月に盟友の榊原金之助県議が脳卒中で倒れると、周囲から後継者として出馬を勧められるようになる。義兄の太田市長が4選出馬の意思を固める前に運動を開始。1971年(昭和46年)4月11日の愛知県議会議員選挙に自由民主党公認で立候補し初当選した。なお、4月25日には市長選も行われ、太田は前県議の内田喜久に敗れた。県議選の結果は以下のとおり。 ※当日有権者数:137,526人 最終投票率:71.50%(前回比:+13.92%) 候補者名当落年齢所属党派新旧別得票数近藤春次 当 65 自由民主党 現 21,318票 浅岡齋 当 64 自由民主党 新 15,257票 長坂信 当 45 民社党 新 12,890票 田中定雄 当 46 日本共産党 新 12,065票 山田悠紀男 落 57 日本社会党 現 10,882票 長坂定 落 43 自由民主党 新 9,284票 坂部鉦一 落 自由民主党 新 7,501票 柴田八重 落 無所属 新 6,485票 山本謙二 落 62 無所属 新 1,351票 神谷光男 落 46 無所属 新 507票 1975年(昭和50年)の県議選は出馬せず、1期で退任した。 1981年(昭和51年)11月、地方自治の発展に尽くした功労で勲五等瑞宝章を受章。 1983年(昭和58年)3月22日、脳血栓症のため三嶋内科病院で死去。76歳没。
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