居留地貿易
読み方:キョリュウチボウエキ(kyoryuuchiboueki)
居留地貿易
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/28 05:28 UTC 版)
「幕末の通貨問題」も参照 函館・横浜・長崎開港後まもなく、「ゴールド・ラッシュ」と呼ばれる奇妙な現象がブームとなる。世界的に金銀の比価は1:15であったのに、日本では1:5であった。つまり日本では金が安く、銀が異常に高かったのである(これは、幕府によって日本の銀貨には一種の信用貨幣的な価値が付与されていたという事情もあった)。このため、中国の条約港で流通している銀貨を日本に持ち込んで金に両替し、再び中国に持ち帰り銀に両替するだけで、一攫千金濡れ手で粟の利益が得られた。商売を禁止されている外交官でさえこの取引を行ったとされる。事態に気付いた江戸幕府が通貨制度の改革に乗り出す頃には大量の金が日本から流出し、江戸市中は猛烈なインフレーションに見舞われていた。 政治的緊張が続く幕末には、武器や軍艦が日本の主要輸入品となった。武器商人トーマス・グラバーが長州藩や薩摩藩を相手に武器取引を行ったのは長崎であった。明治になっても、近代化のために最新の兵器や機械の輸入は続く。これに対して日本が輸出できるのは日本茶(グリーンティー)や生糸くらいしかなかった。貿易赤字は金銀で決済するしかない。このため富国強兵を掲げる明治政府は殖産興業に力を入れ、富岡製糸場などを建設していくとともに、日本人が海外に出て直接取引を行う「直貿易」を指向していく。
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