居留地の造成と運営とは? わかりやすく解説

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居留地の造成と運営

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 14:53 UTC 版)

神戸外国人居留地」の記事における「居留地の造成と運営」の解説

江戸幕府柴田剛中兵庫奉行任命して居留地と港の造成にあたらせた。柴田神戸村着任する直ち造成指揮を執ったが、開港日である1868年1月1日慶応3年12月7日)までに完成したのは運上所税関)の施設と3か所の埠頭3棟倉庫のみであった。この時期江戸幕府から明治政府への政権移行期に当たり、1867年11月9日慶応3年10月14日)には大政奉還が行われた。当初兵庫開港に関する事務引き続き江戸幕府担当することとされたが、開港から2日後1月3日慶応3年12月9日)に王政復古の大号令発令され同月27日慶応4年1月3日)に起こった鳥羽・伏見の戦い江戸幕府軍が敗れ徳川慶喜大阪城から江戸へ退却する柴田剛中江戸へ引き上げ工事中断余儀なくされた。残る工事明治政府の下で行われた外国人による土地所有認めない方針を採る明治政府は、居留地内の土地永代借地無期限借地事実上所有)として外国人貸与することとし、被貸与者は競売によって決定された。永代借地権居留地返還後も、1942年昭和17年)まで存続した(後述)。競売代金約半分政府側が収納し残り自治行政を行うための最高議機関として政府認めた居留地会議運営費として積み立てられた。居留地住民による自治行政居留地廃止されるまで続いた。約30年にわたり居留地円滑に運営され日本側と外国側との関係も概ね良好であった評価されている。ただし日本人居留地内での居住禁止され立ち入り制限された。 なお居留地造成の遅れを受け、明治政府区域を東は(旧)生田川、西は宇治川、南は居留地南の海岸、北は山辺山麓)と限定した上で外国人居留地外に居住することを認めた。この区域雑居地といい、居留地返還まで存続した(詳細について後述)。

※この「居留地の造成と運営」の解説は、「神戸外国人居留地」の解説の一部です。
「居留地の造成と運営」を含む「神戸外国人居留地」の記事については、「神戸外国人居留地」の概要を参照ください。

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