将棋の発展とは? わかりやすく解説

将棋の発展

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 09:29 UTC 版)

将棋」の記事における「将棋の発展」の解説

これは世界の将棋類同様の傾向見られるようだが、時代が進むにつれて必勝手順が見つかるようになり、駒の利き増やした駒の種類増やしたりして、ルール改めることが行われるようになった日本将棋例外ではない。 13世紀ごろには平安大将棋に駒数を増やした大将棋遊ばれるようになり、大将棋飛車・角行・醉象平安将棋取り入れた小将棋考案された。15世紀ごろには複雑になりすぎた大将棋ルール簡略化した中将棋考案され、現在に至っている。1516世紀ごろ(室町時代)には小将棋から醉象除かれ本将棋になった考えられる元禄年間1696年出版された『諸象戯図式』によると、天文年中1532年 - 1555年)に後奈良天皇日野晴光伊勢貞孝命じて小将棋から醉象の駒を除かせたとあるが、真偽のほど定かではない室町末の厩図屏風には、将棋興ずる人々描かれている。 16世紀後半戦国時代のものとされる一乗谷朝倉氏遺跡から、174もの駒が出土している。その大半歩兵の駒であるが、1枚だけ醉象の駒が見られ、この時期醉象(象)を含む将棋含まない将棋とが混在していたと推定されている。1707年出版赤県敦庵著作編集将棋書「象戯網目」に「象(醉象)」の入った詰め将棋掲載されている。ほかのルール現在の将棋とまった同一である。 江戸時代入り、さらに駒数を増やした将棋類考案されるようになった天竺大将棋大大将棋・摩訶大大将棋・泰将棋大将棋とも。混同避けるために「泰」が用いられた)・大局将棋などである。ただし、前提として江戸時代には本将棋普及しており、これらの将棋類ごく一部除いて実際に指されることはなかったと考えられている。江戸人の遊び心こうした多様な将棋考案した基盤には、江戸時代将棋庶民ゲームとして広く普及愛好されていた事実がある。 将棋素材とした川柳多さなど多く史料物語っており、現在よりも日常への密着度は高かった。このことが明治以後の将棋の発展につながっていく。

※この「将棋の発展」の解説は、「将棋」の解説の一部です。
「将棋の発展」を含む「将棋」の記事については、「将棋」の概要を参照ください。

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