将棋の日本伝来年代についての対立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/20 07:50 UTC 版)
「増川宏一」の記事における「将棋の日本伝来年代についての対立」の解説
前述したように、増川は将棋の伝来を10~11世紀とした。これに対し、将棋棋士の木村義徳などは、マークルックは持ち駒使用がなく、かつ、ルア、コーン、マー、メットが成ることもないことから、マークルックはむしろチェスやチャトランガに近く、日本将棋とは異なるルールであり、日本将棋の起源とはやや考えにくいとしている。増川の説よりも早い時期、おそらく6世紀には中国大陸経由で日本に将棋が到達していたと予想。インドを中心にヨーロッパから日本までほぼ同じ形の将棋の原型が広まっていったと考えている。 増川はこの6世紀説に対し、著書『将棋の駒はなぜ40枚か』(ISBN 4-08-720019-1) 『ものと人間の文化史 チェス』(ISBN 4-588-21101-3)などで激しく批判している。木村も著書『持駒使用の謎』(ISBN 4-8197-0067-7) で、増川の批判に対し再論証をおこなっており、論争の行方には決着はまったくついていない。 なおこの増川の木村に対する批判の中で、増川の曲解に基づく行きすぎた暴言があり、著しく木村義徳氏の名誉を傷つけたとして、「将棋世界」2006年9月号にて増川の名で木村に対する謝罪広告文が出された。
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