将棋の町・山形県天童市
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/04 03:19 UTC 版)
「駒 (将棋)」の記事における「将棋の町・山形県天童市」の解説
現在、駒を9割以上生産している山形県天童市では、江戸時代末の元治二年(1865年)に吉田家から伝わったとする資料が有力視されていたが、その後の研究では18世紀には将棋駒の製造方法が天童に伝わっていたと見られている。当時財政状況が悪かった天童藩が、当時流行っていた将棋に着目し、武士に将棋の駒の製造を勧めたのが始まりと言われている。古い天童駒は付近の山から切り出した雑木を斧で割った木地に独自の草書体字が漆書きされたものであり、不揃いで庶民向けの低価格品が主であった。明治時代中期には東京から楷書体の駒が伝わり、大正時代には彫り駒の手法が取り入れられるようになり、また木地は機械で揃ったものが作られるようになって現在に至っている。現在は木地にスタンプで印字する押し駒(スタンプ駒)や、機械彫りの低価格の彫駒が普及したため、伝統的な天童書体の書き駒の職人は少なくなっている。1996年、天童の将棋駒は伝統工芸品に指定された。 近年では漆の代用品としてインドやブラジルのカシュー塗料が用いられることがある。
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