将棋の真剣師
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 02:59 UTC 版)
いわゆる将棋指しが現れたのは室町時代後期とされるが、将棋の真剣師がいつごろ現れたかは定かではない。江戸時代には賭博が原則として禁止されており、明治以降も同様であったが賭け将棋は盛んに行われ、様々な真剣師が現れた。真剣師の中には、当時のプロ棋士を実力で打ち負かすほどの実力を持つ人物もいたという。花村元司に至っては五段でプロ編入が認められ、九段まで昇っている。『修羅の棋士-実録裏将棋界』(宮崎国夫・著、幻冬舎アウトロー文庫)には真剣師として上田久雄、大田学、加賀敬治、小池重明、花村元司、平畑善介、三崎巌という七人の侍が掲載されている。しかし取り締まりが厳しくなった社会背景もあり、昭和50年代には真剣師はほとんどいなくなったものと推測されている。「最後の真剣師」と言われた大田学が真剣師廃業を決意し、最後の記念に朝日アマ名人戦に出場、63歳で優勝したのがちょうどその頃である。
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