寄田三尺棒踊り
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 21:12 UTC 版)
毎年6月の第1日曜日に、新田神社の御田植祭において境内で奉納される踊りで、鎌倉時代や戦国時代に始まったとされる。その由来については①農民の自衛のための武術鍛錬②田打ち行事であり、地面をとんとん突く所作から虫追いを示す農耕儀礼といった説が示されている。1963年(昭和38年)に県の無形民俗文化財に指定されている。 なお、1834年(天保5年)の「薩摩風土記」では、鹿児島城下の5月の行事として田植え踊りと棒踊りが示されており、現在まで南九州各地に伝わる踊りであるが、無形民俗文化財に指定されているものは寄田三尺棒踊りのみとなっている。 また、宮崎大学の中村周作の1988年の調査によれば、「川内市寄田町瀬戸野の諏訪神社は、寄田全域と羽島地区内の土川、およびいわゆる「タコ」と称される台地上の諸集落 にまで氏子圏が広がっていた。ここで行なわれる「棒踊り」は、露店も多く集まって盛大であり、氏子集落から踊り手が出るだけでなく、羽島地区全域から見物に出かけていた。」とある。 棒踊りの練習は5月頃から始まる。週に5日、子供たちは晩御飯を食べ終えた19時ころから公民館に集まり、年配者から指導を受ける。寄田小学校の児童が多い頃は小学3年生にならないと踊れないという決まりがあったが、少子化が顕著になると小学一年生から踊り手となるようになった。 踊りは6人がひとつのグループをつくり、以下のように並ぶ。そしてこのグループがあと2つ、計18人で踊るのが正式な形である。加えて、この踊りには歌い手が3人つく。 (上手:歌い手) ↑ 〇〇〇 ○○○ この6人は前の3人、後ろの3人と踊りの向きが分かれ、さらに右・中心・左それぞれにも動き方があるので、複雑な舞となる。このため踊り手一人に一人ずつ指導者がつく。 踊りは、最初に歌い手の「ホーセーロー」という前奏から始まる。その間、踊り手たちは猿の声のような「ヒューッ」という高い声を複数回出す。前奏が一分ほどで終わると、踊り手は両手を右肩のあたりから前面に返しながら伸ばす。と同時に、ジャンピングスクワットのような形でひざと腰を落としながら「サー サーサ」と発声する。すぐに立ち上がり、右手の甲を頭の右上で「ホイ」と言いながら返す。このような形で進められていく。 御田植祭の本番は、全員が浴衣の上にたすきがけをし、兵児帯に手ぬぐいを刀の柄代わりにし、そこに木刀を差し込む。 公民館の前で一番最初の踊りを披露すると、町内各所をマイクロバスに乗って移動する。踊り終わると住民から花代をもらったり、ご馳走をふるまわれる。町内すべてで奉納が終わると、新田神社に移動して奉納する。奉納した後は公民館に戻ってくるので、関係者にとっては一日がかりの祭となる。
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