寄田野牧
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 21:12 UTC 版)
薩摩藩は軍備及び輸出品として馬を重要視しており、その歴史は島津氏の始祖、忠久が薩摩入国にあたり本田貞親を先遣して出水郡下出水の瀬崎野に牧場を建設したのが始めてである。馬の牧畜は第15代貴久から第21代吉貴の時代に最も盛んとなり、農家一軒につき女馬4~5匹を飼養して繁殖を図り、毎年3000頭あまりを生産し、九州各地に輸出する政策がとられた。このため、薩摩藩内には近代まで20あまりの牧が作られた。 寄田町付近には、市木野牧(いちき串木野市)、寄田野牧、笠山野牧、先述の瀬崎野牧(出水郡長島町か)があり、このほかに薩摩地域に牧が設置されていないことから、寄田野牧が島津三牧の一つとなったと推察される(なお、東郷町にもあったとする伝承があり、これが笠山野牧ではないかと考えられる)。
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