家老職に就任した家・300石級家臣〜400石級家臣
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「小諸藩牧野氏の家臣団」の記事における「家老職に就任した家・300石級家臣〜400石級家臣」の解説
藩主牧野氏の与板立藩(1634年)から小諸入封を経て、幕府滅亡の大政奉還(1868年)までに家老就任履歴がある家は次の通りである。()内は何代にわたって家老職を勤めたかを現す。隠居再勤により一人で家老職を2回勤めた場合と、家老準席を経て家老本職に就任したときは、合わせて1代(1回)と数えている。徳川幕府滅亡後(大政奉還後)に家老職または家老相当の役職就任したものは、カウントしていない。また勝手方家老に就任した者は、当然カウントしているが、勝手方総元〆たる加判は、実権が家老並みであったとしても、カウントしていない。 太字は首席家老(家臣筆頭)に、徳川幕府滅亡(大政奉還)までに1代以上就任した履歴のある家である。 牧野八郎左衛門家(家老職8代。20歳で死亡した当主1代以外はすべて就任)。同分家牧野隼人進(勝兵衛)家(分家4代目から5代家老職連綿)。真木権左衛門家(家老職7代。初代と病身の当主1代の計2人以外はすべて就任)。加藤六郎兵衛家(家老職6代。一時期家老の家柄から外れる)。稲垣源太左衛門家(家老職4代。改易後名跡再興あり)。倉地家(家老職1代。初代で長岡帰参)。 野口家(家老職1代、改易後名跡再興無し)。太田家(家老職3代)。木俣家(家老職4代)。本間家(家老職1代)。藩主康周・庶子を家祖とする牧野求馬家(家老職1代)。村井家(家老職1代)。河合家(家老職1代)。佐々木家(家老準席1代)。鳥居家(家老職1代)。
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