定時制、府立4校だけの隔週定時制
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/24 23:43 UTC 版)
「大阪府立和泉高等学校」の記事における「定時制、府立4校だけの隔週定時制」の解説
1948年(昭和23年)に新制の高校に改編された際、全日制とともに昼間定時制課程(普通科)も併置された。なお3年後の1951年に昼間定時制を廃止し、夜間定時制課程(普通科)へ再び改編されている。 1966年に隔週定時制(隔週二部制)の課程(家政科)も併置された。泉州(和泉)地域の地場産業は、1964年東京オリンピック(昭和39年)五輪女子バレー金メダルなど東洋の魔女と呼ばれた「ニチボー貝塚」(現ユニチカ・フェニックス)に象徴される繊維産業。その紡績工場の2交替勤務に合わせて、働きながら学ぶ人を対象にしており、和泉高校をはじめ貝塚高校、泉南高校、横山高校の府立4高校に設置された。 産経新聞の千野境子によると、隔週定時制は高度経済成長期に働き手を欲しい企業側と、貧しくとも高校だけは卒業してほしいと願う親・生徒側の希望が合致した、教育を重視する日本ならではの学校で、愛知県、岡山県などでも誕生。1960年代の地方からの集団就職者の受け皿として、また全日制高校の数が少なかった時代から進学希望者の受け皿として、定時制課程への入学希望者が相次いだことを背景としていた。 千野が取材した貝塚高校の隔週定時制の場合、生徒の勤務に合わせて通信制を併用し、授業も被服や手芸など実習科目に重点。定時制の週は午後3時10分から夜7時30分まで、通信制の週は朝9時15分から昼前11時25分まで学ぶ。“隔週なら通学できる”家庭環境の生徒も多く最盛期320人で2003年(平成15年)の段階でも九州、四国から志願者があったという。 しかし1970年代になると、産業構造の変化により集団就職者が減少し、全日制高校も増設されたことから志願者が減少傾向となり、和泉高校の隔週定時制課程は1998年3月に廃止(閉課程)となった(他の3校の隔週定時制も全て廃止)。 また定時制課程も2008年3月、大阪府の定時制高校の半減策により廃止(閉課程)となった。
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