定型化した"死装束の幽霊"、"足のない幽霊"
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/12 07:06 UTC 版)
「幽霊」の記事における「定型化した"死装束の幽霊"、"足のない幽霊"」の解説
「乱れ髪に天冠(三角頭巾)、死装束の足がない女性」という、芝居やお化け屋敷などでもおなじみの定型化した姿、いわば「日本型の幽霊」は、演劇や文芸の影響が大きいと言われている。河出書房から出版された『渡る世間は「間違い」だらけ』(1995年〈平成7年〉刊)によると、歌舞伎の舞台「四谷怪談」の演出で幽霊の足を隠して登場したものが起源であるとしている。江戸時代に浮世絵の題材として描かれてから定着したものであるともいう。『番町皿屋敷』の影響があるともいう。京の天才絵師・円山応挙(1733-1795年)の幽霊画の影響もあったとされる。応挙の幽霊画は当時から有名であったらしく、多くの絵師に影響を与えたといわれている(■左に示した一図の場合は、パロディ感覚で描かれた作例と言える)。ただし、「足の無い幽霊を最初に描いたのは円山応挙である」とする説については、俗説あるいは不正確な説との指摘がある。実際には、応挙が生まれる60年前の延宝元年(1673年)に同じ京都で刊行された井上播磨掾の浄瑠璃本『花山院后諍(かざんのいん きさきあらそひ)』(別名:花山院きさきあらそひ)に、足の無い幽霊の挿絵が掲載されており、この時代の、少なくとも京都にはすでに、「幽霊には足が無いもの」という概念があったようである。なお、係る日本の定型化した幽霊と対比する形で、「海外の幽霊は足があるものが多い」と解説されることがある。 幽霊の中でも「牡丹灯篭」のお露のように、下駄の音を響かせて現れる者もいるが、これは明治時代になって中国の怪異譚を参考に創作されたものである。近年[いつ?]も死者の霊が登場する都市伝説が多く語られているが、外見上生きている人間と区別がつかない幽霊も多く、「死に装束を着た足の無い幽霊」が「出現」することはほとんど無い。
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