官職選挙
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 03:50 UTC 版)
紀元前119年、同年の執政官にメテッルスが当選すると、マリウスもクルスス・ホノルムのスタート地点である護民官に選出された。カエキリウス氏族はマリウス氏族と同じプレブス(平民)ではあったが、政治的名門であるカエキリウス・メテッルス家は閥族派に属していた。メテッルスらが護民官にマリウスを推薦したのは平民の庇護者である護民官を手駒にしようとする閥族派の意向が働いていた。ところがマリウスは護民官に当選すると富裕層に有利な選挙制度の改革を主張し始め、当然ながら反対したメテッルスを同僚執政官と共に投獄しようとした。他の護民官や民会はマリウスを勇敢な政治家と讃え、民衆派の政治家と見做される様になった。 投票制限法で譲歩を迫られたカエキリウス・メテッルス家とは対立関係となり、五大官職の1つである造営官(アエディリス)の有力候補となったものの、政界で孤立した事で上級アエディリスはおろか下級アエディリスにも落選した。諦めずに今度はインペリウム保有職である法務官(プラエトル)選挙に出馬、僅差で当選した。反対派は選挙違反容疑でマリウスを訴えたが、こちらも僅差ながら陪審員の評決で無罪とされ、マリウスは念願のインペラトル(軍司令官)の称号を得た。 法務官については無難に任期を終え、翌年に前法務官権限(プロプラエトル)によりイベリア半島のヒスパニア・ウルテリオル(ルシタニア)の総督へ指名された。総督時代は領内の反乱兵討伐に功績を上げ、軍事的功績を示した。ローマに帰国すると長年独身だったマリウスはカエサル家の子女ユリア・カエサリアと結婚した。平民の中でも無名の血筋であるマリウスからすれば、建国神話にまで遡る由緒正しいパトリキ(貴族)であるユリウス氏族との婚姻は名誉であったが、カエサル家自体はあまり有力ではなく没落貴族の家系であったので、資金的な助けにはならなかった。ユリア・カエサリアとの間には跡継ぎとなる小マリウスを儲けた。
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