官職就任と商務庁長官(第1期)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/02 16:13 UTC 版)
「ヘンリー・ラブーシェア (初代トーントン男爵)」の記事における「官職就任と商務庁長官(第1期)」の解説
グレイ伯爵内閣では1832年6月に下級海軍卿(Lord of Admiralty)に任命され、保守党内閣である第1次ピール内閣の成立に伴い1834年12月に辞任した。 第2次メルバーン子爵内閣が成立すると、1835年4月25日に造幣局長官(英語版)に任命された。官職に伴う出直し選挙(4月29日)ではベンジャミン・ディズレーリ(保守党所属、のちのイギリス首相)が対立候補として出馬した。しかし、ラブーシェアは452票対282票で難なく再選した。5月6日、連合王国枢密院の枢密顧問官に任命され、同時に商務庁副長官(英語版)にも任命された。以降1837年(469票)、1841年(430票)、1847年(543票)、1852年(430票)、1857年(442票)の総選挙でトップ再選を続け、1859年イギリス総選挙では得票数2位(388票)で再選した。ヴィクトリア女王の即位にあたり、1837年7月18日に造幣局長官を再任した。 1839年2月より陸軍・植民地省政務次官(英語版)を兼任した。同年8月に政務次官を辞任したが、造幣局長官には留任、8月29日に商務庁長官に昇進、同時に閣僚になった。商務庁長官として、西インドと北米植民地における関税率を引き下げた。1841年9月の内閣総辞職によりラブーシェアも辞任した。
※この「官職就任と商務庁長官(第1期)」の解説は、「ヘンリー・ラブーシェア (初代トーントン男爵)」の解説の一部です。
「官職就任と商務庁長官(第1期)」を含む「ヘンリー・ラブーシェア (初代トーントン男爵)」の記事については、「ヘンリー・ラブーシェア (初代トーントン男爵)」の概要を参照ください。
- 官職就任と商務庁長官のページへのリンク