官職を退き士族授産事業に
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/17 14:01 UTC 版)
「津田弘道」の記事における「官職を退き士族授産事業に」の解説
明治12年(1879年)12月辞意を決意、全ての官職を離れて岡山六番町で明治5年(1872年)以来の家族揃っての生活を始める。父青翁(弘和)も齢81を数えており、孝養を務めようとしたことも帰郷を決意した一つの理由である、と免官奉願書(辞職願)にある。父弘和は翌明治13年(1880年)4月天寿を全うした。 明治2年(1869年)の版籍奉還により旧武士階級は士族と改められた。藩主が家臣に与えていた俸禄は家禄として新政府に引き継がれたが明治9年(1876年)に全廃された(秩禄処分)。士族の救済政策として士族授産事業が起こり、岡山では元藩主池田家が多く出資して士族授産事業がすすめられた。
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