官職の通称としての頭中将
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/27 22:26 UTC 版)
頭中将は、蔵人頭と近衛中将を兼ねた者に対する通称である。この二つの官職のうち、蔵人頭の定員は2名(「両頭」)で、いずれも四位の官人が任じられた。両頭は文官と武官が分け合い、武官の蔵人頭は近衛府の次官である近衛中将が兼帯して補任されることが多かった。平安時代末期には、文官である弁官(大弁または中弁)から選ばれる蔵人頭の通称である「頭弁」(とうのべん)と並びたつ慣例が生まれた。 平安時代末期の学者である藤原俊憲の著書『貫頭秘抄』には、頭中将は「禁中万事」を申し行い、頭弁は「天下巨細」を執奏するとされ、頭中将は宮中における側近奉仕を担当し、頭弁は天皇と太政官の間で政務に関する連絡を担当したと記されている。 頭中将は天皇の側近くに仕えることが主たる務めとされ、将来の高官候補者である上流貴族の子弟が、近衛少将から近衛中将に昇進した後に蔵人頭を兼ねて頭中将となり、その後、公卿に昇進する例が多かった。 江戸時代に入ると、近衛(権)中将が蔵人頭を兼ねて頭中将に昇進する経路が確定し、大臣家からの2名(正親町三条実有・中院通知)を例外として羽林家から任じられることになった。しかし、名家出身の弁官が五位蔵人(定員3名)を経て頭弁に昇進する経路も確定してい中で、事務に長けた頭弁と五位蔵人の3名が人的に結びついて事務に通じていない頭中将を苛めるケースもあり、中には心労で亡くなった者もいたため、「頭中将になると殺される」と影で言われていたとされる(下橋敬長『幕末の宮廷』)。そのため、頭中将の中には頭弁や五位蔵人達を飲食などで懐柔して味方に取り込む者もいたという。
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