宗教改革とそれ以降
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/07 04:34 UTC 版)
「アイルランド聖公会」の記事における「宗教改革とそれ以降」の解説
宗教改革の只中である1536年、ヘンリー8世はアイルランド議会からアイルランド国教会の首長に指名された。ヘンリーの子エドワード6世の下でイングランド国教会のプロテスタント化が進行するのに伴い、アイルランド国教会においてもプロテスタント化が進められた。エリザベス朝の宗教統一においては、2名を除いて主教全員がこれを受け入れ、アイルランド国教会において使徒継承があるとした。またイングランド国教会と、カトリック教会が疑っていたカンタベリー大主教マシュー・パーカーの叙任(聖別)の形式の正当性について(ナグスヘッドの作り話。イングランドは叙任においてローマの許可とそれが決める方式をとっていなかった。しかし、パーカーを聖別した4人のうち2人は1530年代にはローマ定式書(英語版)を使っていた)は関係がないとした(つまりマシュー・パーカーの聖別を正式なものと認めた)。 アイルランド国教会はイングランド国教会よりも一層根本的に、カルヴァン主義への転換が行われた。後のアーマー大主教であるジェイムズ・アッシャーは『Irish Articles』を著し、これは1615年に採択された後1634年、アイルランド主教区会議においてもイングランドの39ヶ条とともに教義とされた。1660年の王政復古後も39ヶ条は優位であったようで、国教から廃止された後も公式教義であり続けている。 アイルランド語訳聖書の刊行も教会が行い、初のアイルランド語訳新約聖書の作成はオソリ主教(英語版)のニコラス・ウォルシュが行っていたが完成前の1585年に死亡したため、翻訳作業はその部下であったジョン・カーニーとトゥアム大主教(英語版)ネヒミア・ドネアンが引き継いだ。その後この作業はドネアンの後任のトゥアム大主教であるウィリアム・オッドムニュイル(ウィリアム・ダニエルとも)に引き継がれ完成し、1602年に出版された。旧約聖書についてはキルモア主教(英語版)であるウィリアム・ベデル(英語版)(1571年 - 1642年)によって行われており、チャールズ1世の時代には完成していたが、1680年まで刊行されなかった。なお、1680年に刊行されたものはダブリン大主教ナーシサス・マーシュ(英語版)(1638年 - 1713年)による改訂版であった。ベデルはほかにも聖公会祈祷書の翻訳も1606年に行っている。イングランド国教会において祈祷書は1662年に改訂されたが、この翻訳はジョン・リチャードソン(1664年 - 1747年)によって行われ、1712年に刊行された。 アイルランド社会の上層部を占めていたイングランドからの入植者(アングロ=アイリッシュ)を中心にアイルランド国教会は信仰されたが、大多数のアイルランド人はカトリックのままであり、現代に至るまでカトリック教徒はアイルランド全体での多数派であり続けている。なお、北アイルランドに多いスコットランドからの入植者(スコッツ=アイリッシュ)は、主に長老派教会を信仰する。
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