安全保障の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/27 17:52 UTC 版)
古来から人類にとって生存は最重要課題であり、そのために歴史上の為政者たちは自国の安全を確保するために多大な労力を費やしてきた。 19世紀までの国際社会においては、対立する国家(同盟)間の力の均衡によって秩序が安定するという国際社会において、軍事力の造成と同盟の強化によってのみ自国の安全を保障するという個別安全保障の考え方が支配的であった。故に当時の安全保障の研究領域は、国家の外交政策や軍事政策などにとどまっていた。 しかし、この個別安全保障のもとでは、対立する国家間の軍拡競争が発生し、対立する国家間の緊張・不信感をいたずらに高めて戦争のリスクを高めることとなる。また小規模な紛争が世界戦争へと拡大する可能性も高めることとなる。第一次世界大戦は、個別安全保障の危うさを示した最初の世界戦争である。 そこで、この第一次世界大戦後には、集団安全保障の考え方に基づく国際連盟が設立された。集団安全保障とは、全世界全ての国々が体制に参加し、武力行使を原則禁止するとともに、これに違反した国家に対しては構成諸国が協力して軍事力を含めて制裁する安全保障体制である。ただし集団安全保障の制度は、全ての国々が参加することや、顕在的な敵対国が体制内に存在しないことが条件となると考えられている。これによって国際緊張は緩和され、軍縮の可能性もありうる。 しかし国際連盟は権限や体制において欠陥があり、第二次世界大戦の開始を防ぎ得なかった。この歴史を踏まえ、設立された国際連合は集団安全保障のための体制をいっそう整備強化した。しかし国連は米ソ対立によって当初考えられていたように円滑に機能することができなかった。冷戦に突入してからも国連も機能不全が起こり、またアメリカにおいてはソ連との対立があったため、ソ連に対する軍事政策の研究を中心に行ったために、軍事理論が中心であった。
※この「安全保障の歴史」の解説は、「国家安全保障」の解説の一部です。
「安全保障の歴史」を含む「国家安全保障」の記事については、「国家安全保障」の概要を参照ください。
- 安全保障の歴史のページへのリンク