安信の作品と評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/21 14:14 UTC 版)
安信は比較的長命で狩野宗家の当主ということもあり、多くの作品が残っている。しかし、粉本をただ丸写ししたかのような、画家自身の個性や表現を重んじる現代では鑑賞に耐えない作品も少なからずある。しかし、その中でも上質な作品を掬い出して見ると、粉本に依拠しつつも丁寧で真面目な描線で、モチーフを的確に構成した「学画」という自身の言葉通りの作品を残している。筆墨による繊細な表現が重要な水墨画を苦手としていたらしく、優品と呼べる作品は少ない。一方、時にその単調な筆墨が明快さ、力強さに転化する場合もあり、これらが利点として出やすい人物画に優れた作品が多い。ただし、優品の中でも人物の衣文線がはみ出したり、一つの絵巻や屏風内でも明らかな様式の不統一があるなど、細部がいい加減な点がしばしば見られ、細かい点に拘らない安信の資質が見て取れる。 安信は既に江戸時代から兄達に劣るとする評価が広く見られたが、一方でそれを下手と切り捨てるのではなく、兄二人と別の方向を目指した、努力で補ったとする好意的な解釈も見られる。例えば公家の近衛家熈は、尚信を高く評価していたが、安信にもその力量を認めている。曰く、「安信は兄には及ばないことを自覚し自分の様式を貫いているが、決して兄二人に劣っていない」、「安信は下手と言われるが、出来の良い作品は素晴らしい。これは安信が探幽や尚信に及ばないと考え、「己が一家一分の風を書出して」個性を出したからで、これが安信の優れた所である」。 蘭方医の杉田玄白も、三兄弟を評した文章を残している。「探幽の縮図を見たことがあるが、その膨大な量、留書の筆まめさ、出来栄えなどから、探幽には才能に加え篤い志のある三、四百年の名人だと感じ入った。尚信・安信は共に上手だが、尚信は才能があるため絵が風流で、例えるなら紗綾縮緬、安信は才能で劣るため雅さがなく絹紬のようだという。前者は良い織物だが、染色が悪くて仕立てが悪いと人前で着れたものではない。対して後者は劣った織物だが、染めや仕立てが上手ければ人前でも着ることができる。安信は絹紬のように下地、即ち先天的な才能では劣っていたが、努力したため兄二人に並ぶ上手となった。安信の絵が雅でなくともそれは恥ではなく、学んだことが結果として表れているのが素晴らしい。今でも識者は安信を目標に絵を学ぶといい、医学を志す者もこうした安信の姿勢こそ見習うべきである」(『形影夜話』)。
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