宇宿周辺の開発と住居表示の実施
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「宇宿 (鹿児島市)」の記事における「宇宿周辺の開発と住居表示の実施」の解説
1950年代以降、宇宿町の台地上では紫原や桜ケ丘などの住宅団地の開発が行われたほか、脇田地区や宇宿中間・広木地区では土地区画整理事業による住宅地の整備が行われた。 1970年(昭和45年)7月1日に宇宿町の北部で開発が行われていた紫原団地の区域において住居表示が実施されることとなった。それに伴い町域の再編が実施され、鴨池町の一部及び宇宿町の一部より紫原二丁目、宇宿町の一部より紫原三丁目、紫原四丁目、紫原五丁目、宇宿町の一部及び鴨池町の一部並びに田上町の一部より紫原六丁目、田上町の一部及び宇宿町の一部より紫原七丁目、宇宿町及び郡元町の各一部より日之出町がそれぞれ設置された。1973年(昭和48年)3月4日には、郡元町・宇宿町の一部の区域にあたる南港地区において住居表示が実施されることとなった。これに伴い町の区域の再編が実施され、宇宿町、郡元町の各一部より新栄町及び、「宇宿一丁目」、「宇宿二丁目」、「宇宿三丁目」が設置された。 1976年(昭和51年)6月22日から25日にかけての集中豪雨では宇宿町において高さ100メートル、幅約70メートルにわたってがけ崩れが発生し、がけ崩れに2世帯9名が巻き込まれ死亡した。 1978年(昭和53年)10月24日には、宇宿町の南部で開発が行われていた桜ケ丘団地において換地処分が終了したのに伴い、中山町・山田町・宇宿町・田上町の各一部より桜ケ丘一丁目、中山町・山田町・宇宿町の各一部より桜ケ丘二丁目、中山町・宇宿町の一部より桜ケ丘四丁目、桜ケ丘五丁目、桜ケ丘六丁目、宇宿町の一部より桜ケ丘七丁目が設置された。1982年(昭和57年)10月23日に宇宿町の北部に造成された梶原迫団地の区域より西紫原町が設置された。1986年(昭和61年)12月にはそれまで宇宿に駅が存在していなかった指宿枕崎線に宇宿駅が増設された。 1990年(平成2年)11月5日には宇宿町下地区及び上福元町小原地区において住居表示が実施されるのに併せて町域の再編が実施された。宇宿町の一部が西紫原町、紫原三丁目、日之出町に編入され、宇宿町の一部より「宇宿四丁目」、「宇宿五丁目」、宇宿町及び上福元町の一部より桜ケ丘八丁目が設置された。 1993年(平成5年)3月1日には宇宿町の一部が紫原四丁目に編入され、1996年(平成8年)10月28日には宇宿町の一部が桜ケ丘六丁目に編入された。1999年(平成11年)3月29日に宇宿町の一部が紫原三丁目及び宇宿三丁目の各一部に編入された。 2010年(平成22年)2月15日に宇宿中間・広木地区(第一期)において住居表示が実施され、宇宿町の一部が宇宿四丁目、宇宿五丁目にそれぞれ編入され、宇宿町の一部より「宇宿六丁目」、「宇宿七丁目」が新たに設置された。翌年の2011年(平成23年)2月14日には宇宿中間・広木地区(第二期)において住居表示が実施された。宇宿町の一部が紫原五丁目、桜ケ丘七丁目に編入され、宇宿町の一部より「宇宿八丁目」、「宇宿九丁目」、田上町・宇宿町の各一部より向陽一丁目、宇宿町の一部より向陽二丁目が新たに設置された。また、新設された宇宿九丁目は鹿児島市において設置されている丁目としては2012年(平成24年)現在最も大きい数字となっている。 2013年(平成25年)2月18日には宇宿中間・広木地区(第三期)において住居表示が実施され、宇宿町の一部が宇宿九丁目と宇宿六丁目、広木二丁目にそれぞれ編入され、宇宿町・田上町の各一部より広木三丁目が新たに設置された。また、宇宿町の全部及び田上町の一部を以て町の区域の設定及び変更が行われたことにより「宇宿町」が消滅した。
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