学生時代 - バンド仲間との来阪
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/03 15:41 UTC 版)
「tetsuya」の記事における「学生時代 - バンド仲間との来阪」の解説
幼い頃から手先が器用で、将来はF1レーサーかプラモデル屋をやることが夢だったという。音楽を意識的に聴くようになったのは小学校4~5年生のころだといい、当時は一風堂やイエロー・マジック・オーケストラなどを好んで聴いていたと述べている。後に、実家の向かいに住んでいる二つ上の先輩と、同じく近所に住んでいた一つ上の幼馴染のkenと3人で、放課後に家に集まってレコードを聴いたりMTVを見るようになったという。年上の2人がギターを始めた頃、kenに「ベースやりなよ。ギターの弦は6本で、ベースは4本」とベースを勧められ、tetsuyaは「じゃあ楽やな」と思いベーシストとして活動を始めた。ベースを買って初めてギターよりベースのほうが大きいことを知ったtetsuyaは、「こんなデカい楽器を、何でkenちゃんより小さい俺がやらなアカンの?」と思ったといい、「ベースを買ったものの、一人で弾いてても全然面白くなかった」と述べている。ただ、「ベースっていうよりも、バンドをやるのが楽しかった」といい、自らバンド活動を始めるようになり、中学校の文化祭で、マイケル・シェンカーのコピーバンドを組んで初舞台を踏んでいる。 高校生になった頃には、先に進学していたkenや上記の先輩がバンドを組み始め、市民会館を借りてライヴイベントをするようになっていた。イベントに観客として訪れたtetsuyaはそこで知り合った仲間に誘われ、PRISONERに加入することとなった。後から加入したにもかかわらず、のちにリーダーとなりその手腕を発揮するようになる。その後、PRISONERはtetsuyaの意向でByston-Wellと改名し活動を継続するも、ギタリストとドラマーが脱退してしまう。そこで、tetsuyaが声を掛けたのがkenであったが、結局kenは大学受験のために短い期間しかバンドに在籍していなかった。kenが抜けた以降もメンバーを入れ替えByston-Wellは存続していたが、結局バンド活動は休止してしまった。ちなみに、Byston-Wellは地元のとあるバンドコンテストに出場し優勝したことがあり、その様子がテレビ中継され、tetsuyaはこのとき初のテレビ出演を果たしている。 バンドの活動が止まり、高校卒業後には当時のByston-Wellのギタリストとともに大阪に出て一人暮らしを始めることとなる。ちなみに、「バンドで食べていけるわけがない」と当時思っていたtetsuyaは、プロ志向が全くなかったため、この時期に大阪で一人暮らしを始めることは自分の本意ではなかったという。プロ志向だったギタリストが、プロを目指し大阪に出るために物件を探していると話を受けたtetsuyaが、「ついでに大阪の家賃相場を調べてくれないか」と依頼したところ、ギタリストが勝手に二人分の部屋の内金を入れてしまったことが一人暮らしを始めた理由だという。tetsuyaは2010年のインタビューにおいて当時を振り返り、「勝手に部屋を決めてきちゃったっていうアクシデントがなければ、僕は今ここにいないと思います」「だから、そいつには感謝したい」と述べている。
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