学校側の対応への疑問視
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/02 14:58 UTC 版)
「石巻市立大川小学校」の記事における「学校側の対応への疑問視」の解説
地震発生から津波到達まで50分間の時間があったにもかかわらず、最高責任者の校長が不在であったため判断指揮系統が不明確なまま、すぐに避難行動をせず校庭に児童を座らせて点呼を取ったり、避難先についてその場で議論を始めたりするなど、学校側の対応を疑問視する声が相次いだ。 普段から避難に関する教育を徹底し、明治三陸地震の反省を生かして「津波てんでんこ」という教育を行っていた岩手県釜石市の全小中学校では、児童・生徒の自主的避難により99.8%が無事だった。また、同じ石巻市内にあった石巻市立門脇小学校では、地震直後より全員を高台に避難させ、在校児童が全員無事だった。もっとも、門脇小の避難先は舗装・公園化されている日和山公園であり、大川小の裏山は林業関係者しか入山しない山林であった。また門脇小学校でも既に下校していた生徒のうち7名が死亡している。 宮城県が2004年3月に策定した第3次地震被害想定調査による津波浸水域予測図では、津波は海岸から最大で3 km程度内陸に入るとされ、大川小学校には津波は到達しないとされていた。そのため大川小自体が避難先とされていたケースもあり、実際に地震の直後、高齢者を含む近所の住民が大川小学校に避難してきた。市教育委員会は2010年2月、各校に津波に対応するマニュアル策定を指示していたが、被災後の議論で教育委員会は、学校の危機管理マニュアルに津波を想定した2次避難先が「第二次避難【近隣の空き地・公園等】」としか書かれておらず、具体的な場所が明記されていなかった点で責任があると認め、父母らに謝罪した。 2011年4月9日の説明会で、津波から生存した教諭が、裏山に「倒木があった」と証言した。同年6月4日夜の説明会で、市教育委員会は、前述の証言を「倒木があったように見えた」と訂正し、裏山へ避難しなかった理由を、津波が校庭まで来ると想定していなかったことに加え、余震による山崩れや倒木の恐れがあったためと説明した。避難が遅れた理由には保護者や避難住民への対応を挙げた。震災時の議論の詳細は明確にならなかった。謝罪はあったが、学校も市教育委員会も責任に言及しなかった。
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