学問や自然科学との関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/21 02:43 UTC 版)
一神教を母体として生まれた自然科学 ヨーロッパ中世においては「神は二つの書物をお書きになった」、「神は、聖書という書物と、自然という書物をお書きになった」と考えられていた。よって自然を解明することはそのような被造物を創造した神の意図を知ることになり神の偉大さを讃えることにもなると考えられた。ヨハネス・ケプラーやアイザック・ニュートンなど宗教的情熱、神の意図を知るために自然を知ろうとし、結果として自然科学の発達に大きく貢献した、ということは指摘されている。自然科学が発達した地域が、ほかでもなくイスラム世界やキリスト教世界であったのは、上述のような自然観と神への信仰が原動力となった、ということは指摘されている。それをリン・ホワイトは「近代的な西欧科学はキリスト教の母体のなかで鋳造された」と表現した(「宗教と科学#キリスト教と近代科学」も参照)。 実際ヨーロッパでは神の存在について研究する神学は長きにわたって学問上の基礎科目であり、オックスフォード大学もケンブリッジ大学も、ハーバード大学も元は神学校である。 現代でも、科学者のおよそ半数が神や超越的な力を信じている、ということがアンケート調査で明らかになっている(「科学者#科学者と信仰」も参照)。 「神の死」 ヨーロッパの中世では広く神の存在が信じられ、神を疑う人は稀であった。神が、人々に人生の意味、生きる意味を与えてくれていた。だが、ルネ・デカルトは(当時としては非常に大胆なのだが)神を疑うような考え方を提示、代わりにego(エゴ)や(cogito)コギトを基礎に置くような思想を展開した(いわゆる「我思う、ゆえに我あり」と要約される思想。『方法序説』などで提示)、18世紀には哲学者・思想家によって唯物論など神を介しない哲学的な考え方も論じられるようになった。さらに19世紀に自然哲学が自然科学へと徐々に変化し大学で教えられる学問の体系が変化するにつれ、学問体系からは神や人生の意味とのつながりが次第に抜け落ちていった。そして、神を信ずる人の割合は中世などに比べじわじわと減ることになった。そうした一連の風潮を、19世紀にはニーチェが「神の死」という言葉で指摘した。「神の死」はニヒリズムをもたらしがちであるが、ニーチェは、神が思想から失われた時代になっても、神に代わって人々に生きる意味を与えてくれるような、ニヒリズムを乗り越えさせてくれるような思想を打ち立てようとした。20世紀前半、マックス・ウェーバーは、学問体系が「神」や「人生の意味」を失ってしまった状態でそれに取り組むことはどのようなことなのか、その厳しさ・残酷さを学生たちに理解させようとした(『職業としての学問』)。しかし神の定義は有神論、理神論、汎神論など様々あり曖昧である。
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