奈良・平安時代: 寺院での男色とは? わかりやすく解説

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奈良・平安時代: 寺院での男色

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 07:34 UTC 版)

日本における同性愛」の記事における「奈良・平安時代: 寺院での男色」の解説

奈良・平安時代には仏教広まりとともに寺院での男色もかなり広まった考えられている。奈良時代には貴族の子弟が寺院入り、僧の身の回り世話などをすることが制度として確立していた。男色対象とされた少年達は、元々は稚児として寺に入った者達である。彼ら有髪少年は寺稚児垂髪、渇食などと呼ばれたこうした稚児寵愛する風習は、奈良時代以降かなり仏教界に広まっていた。天台宗などでは僧と稚児初夜前に行われる稚児灌頂(ちごかんじょう)」という儀式があり、稲垣足穂少年愛の美学』に詳しい。灌頂受けた稚児観音菩薩化身とされ、僧侶灌頂受けた稚児とのみ性交許された。寺社内での男色を知る貴重な資料に、平安時代成立したとされ、稚児灌頂について記された『弘児聖教秘伝』や、大分後のものだが京都醍醐寺所蔵の「稚児草紙絵巻」(元享元年,鎌倉末期)などがある。奈良時代にはめぼしい男色記録はないが、『万葉集』には大伴家持らの男性宛てた思われる恋愛詠んだ和歌多数収められている。また、奈良時代後期には孝謙天皇皇太子立てられていた皇族道祖王が「先帝聖武天皇)の喪中であるにもかかわらず侍童姦淫をなし、先帝への服喪の礼を失した」などの理由廃嫡追い込まれたとの記録がある。

※この「奈良・平安時代: 寺院での男色」の解説は、「日本における同性愛」の解説の一部です。
「奈良・平安時代: 寺院での男色」を含む「日本における同性愛」の記事については、「日本における同性愛」の概要を参照ください。

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