奄美移住から後とは? わかりやすく解説

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奄美移住から後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/23 14:16 UTC 版)

島尾ミホ」の記事における「奄美移住から後」の解説

名瀬への移住後1956年12月に、敏雄は伸三・マヤ揃って洗礼受けた直後1957年1月夫妻加計呂麻島訪れこの年ミホは初の小説妻よ再びわれに』を執筆している(未投稿となった)。移住後には、マヤが足の麻痺失語症発話障害)を発症しあちこち病院受診させている。1959年には『婦人公論』に手記錯乱の魂から蘇って』を寄せ実質的な文壇デビューとなる。 ミホ1969年から1973年にかけて、同人誌カンナ』に短編投稿し、これに書き下ろし3作を加えて出版されたのが、『海辺の生と死』(1974年であった。この作品ミホ第3回南日本文学賞1974年度)、第15回田村俊子賞1975年度)を受賞した。ふたりの子どもは九州進学し1975年島尾夫妻指宿市へと転居する2年後には、マヤ伴って神奈川県茅ヶ崎市へと移った1983年まで在住)。1980年に敏雄が日本芸術院賞受賞した際には、気乗りしなかった夫に代わって授賞式代理出席した。1983年には、マヤと共に家族3人で加治木町(現:姶良市)へ移り同年の内に鹿児島市吉野町へ、更には翌年末に同市内宇宿町へと転居繰り返した。同じ頃、『海』に長編小説海嘯』を連載していたが、1984年雑誌休刊後未完のまま放置されることになった結局そのまま2015年刊行)。敏雄は1986年昭和61年11月12日に、出血性脳梗塞のため鹿児島市立病院死去したが、ミホこの後喪服通したという。

※この「奄美移住から後」の解説は、「島尾ミホ」の解説の一部です。
「奄美移住から後」を含む「島尾ミホ」の記事については、「島尾ミホ」の概要を参照ください。

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