太平洋炭鉱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/10 00:09 UTC 版)
太平洋炭鉱(たいへいようたんこう)は、北海道釧路市にあった炭鉱である。 1905年(明治38年)に前身の安田炭礦が採掘を始め、木村組釧路炭鉱と三井鉱山釧路鉱業所を経て1920年(大正9年)4月22日に太平洋炭鉱となった。 閉山までの82年間で、採炭量は1億トン以上となった。 採炭の多くを海底の炭層から行っていたため、「太平洋の海底炭」というネーミングで宣伝し販売をしていた。主に道東方面での消費が多かったが道南などにも販売していた。 1964年(昭和39年)3月4日には桂恋沖の深部海底下炭層のボーリング調査を開始し、1974年(昭和49年)4月22日にはWSD採炭方式技術のオーストラリア向け輸出契約に調印、2001年(平成13年)8月21日にはベトナムの研修生60人を受け入れて 「技術移転5ヵ年計画」を開始するなど技術力は高かった。 日本国政府のエネルギー政策が国内の石炭主体から石油へ転換したことを受けて太平洋炭礦株式会社(初代)が事業転換を図ったため、石炭の採掘事業のみが分離されて太平洋炭礦株式会社(2代目)として存続したが、2002年(平成14年)1月30日に閉山となった。 閉山後は、地元の経済界などが出資した釧路コールマインが採炭事業を引き継ぐ形で2002年(平成14年)1月31日に操業して同年4月9日から本格的に石炭の採掘を復活させ、年間50万トン規模の採炭を続けている。 この閉山に伴い関連会社を含め約1,500人が解雇されたが、石炭の採掘事業を継承することになった釧路コールマインにより従業員547人が採用された。
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