太平洋入団から退団騒動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 06:42 UTC 版)
「フランク・ハワード」の記事における「太平洋入団から退団騒動」の解説
1973年に太平洋クラブライオンズがシーズンオフに考え出した策は、現役の超大物メジャーリーガーを獲得して集客力をアップというもの。そして、デトロイト・タイガースに在籍していた現役のメジャーリーガーであるハワードを獲得した。ハワードは上記の通り来日メジャーリーガーの中で一番の実績を誇っていたため、連日マスコミに追われ、日常の些細な出来事でも即記事となるなど、その反響は大きかった。前評判は素晴らしく、『あぶさん』の景浦安武とホームランの競演をするシーンが描かれた。 オープン戦から本塁打を放つなど活躍。特に、対巨人戦では川上哲治監督から「すごいね、彼は活躍するでしょう」と賛辞を送られたほどだった。しかし、ハワードは来日時点で既に膝を故障しており、膝の関節の軟骨が磨り減っていたことで、立つことも困難なほどの激痛に襲われ、プレーができない状況下にあった。開幕が近づくにつれ、ハワードの膝痛はプレーに支障が出るほど悪化し、全国スポーツ紙の中で当時唯一九州本社版を発行していたスポーツニッポンが開幕前日頃「ハワードが膝痛で出られる状況にない」と知るとすぐさま一面に「ハワード、開幕欠場」という見出しを掲載した。それを知った当時の稲尾和久監督が、血相を変えてスポニチの記者に「お前、営業妨害する気か!?」と詰め寄ったが、スポーツニッポンの報道は事実となってしまった。 1974年4月6日の日本ハム(平和台)の開幕戦にスタメン出場したが、恐れていた膝痛が悪化しわずか3打席で途中交代。結局開幕戦に出場しただけで、5月には帰国した。球団はハワードが帰国と同時に契約を解除していたが、代理人から「話が違う。残りの金額を支払え」とクレームを付けられ、その上受け入れられなければ裁判に持ち込むとまで言われた。結局、裁判を恐れた球団は残り分も支払うこととなった。 ハワードの一件から、球団は退団と同時に活躍できるメジャーリーガーをリストアップし、6月にマティ・アルーを獲得している。
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