天文以前東アジア式火器伝来説とは? わかりやすく解説

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天文以前東アジア式火器伝来説

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 07:58 UTC 版)

鉄砲伝来」の記事における「天文以前東アジア式火器伝来説」の解説

種子島以前鉄砲伝来については長沼賢海鉄砲研究をはじめ、諸説ある。長沼は『日本文化史之研究』(教育研究会、1937年)をはじめとする重要な研究残したが、現在九州大学保存される蒐集史料写本)「神器秘訣」「菅流窼」「鳥銃記」「異艟舩法火攻泉之巻」といった砲術書の研究今後の課題である。 長沼海外文化の「消化」「征服」を「国民性」「民族性」とする日本人積極的に鉄砲導入しなかったはずがないという前提のもとに、火薬爆発力何らかの物体をとばす器械をすべて「鉄砲」とみなしたうえで(鉄砲小銃とする一般的理解とは異なる)、「天文以前」(1543年以前)に中国琉球ルートおよび朝鮮ルート中国式銃・朝鮮式銃が伝来したことを主張したまた、鉄砲記」の記述の信頼性批判し西洋式小銃伝来経路種子島だけではないことを主張した長沼こうした見解には批判もあったが、「天文以前東アジア式火器伝来説」には支持者もいる。 東アジアから東南アジアにおいて、15世紀には中国の明が海禁政策行い、また日本室町幕府との日明貿易勘合貿易)が途絶した事などにより倭寇後期倭寇)による私貿易密貿易活発になっていた。日本琉球王国においても原始的な火器使用されていて、火器倭寇勢力等により日本へも持ち込まれていた可能性指摘するむきも多い。 ほかにも、鉄砲伝来は、初期火縄銃形式東南アジア加圧式火鋏を持った鳥銃似ている事や東南アジアにおいても先行して火縄銃使われていた事などから、種子島への鉄砲伝来代表されるようなヨーロッパからの直接経由でなく倭寇などの密貿易によって東南アジア方面から持ち込まれたとする宇田川武久らの説がある。しかし欧米日本の研究者中には欧州瞬発メカ日本伝えられ改良発展したものが、オランダによって日本から買い付けられて東南アジア輸出され、それらが手本となって日本式機構東南アジア広まったとする説をとる者も少なくなく、宇田川説を否定的にみる意見も多い。

※この「天文以前東アジア式火器伝来説」の解説は、「鉄砲伝来」の解説の一部です。
「天文以前東アジア式火器伝来説」を含む「鉄砲伝来」の記事については、「鉄砲伝来」の概要を参照ください。

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