天女橋とは? わかりやすく解説

天女橋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/22 15:47 UTC 版)

天女橋
基本情報
日本
所在地 沖縄県那覇市
交差物件 円鑑池
建設 1502年
座標 北緯26度13分6.6秒 東経127度43分7.4秒 / 北緯26.218500度 東経127.718722度 / 26.218500; 127.718722 (天女橋)座標: 北緯26度13分6.6秒 東経127度43分7.4秒 / 北緯26.218500度 東経127.718722度 / 26.218500; 127.718722 (天女橋)
構造諸元
形式 アーチ
材料 琉球石灰岩
全長 9.8m
区分 重要文化財(建造物)
指定日 1972年5月15日
指定コード 01842
関連項目
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式
テンプレートを表示

天女橋(てんにょばし)は、沖縄県那覇市首里城公園北側の円鑑池に架かる石造アーチ橋。国の重要文化財に指定され、日本百名橋の1つである。観蓮橋とも呼ばれる。

概要

円鑑池の中島にある弁財天堂へ渡る橋で、1502年(尚真王26年)に造られた、日本に現存する最古の石造アーチ橋である。 沖縄の古いアーチ橋は、アーチを構成する石が4つまでと少なく、要石(キーストーン)と言える部分が存在しない。これは城(グスク)の門の石積みアーチ技術を使ったものとみられる。天女橋の東側には、国の重要文化財に指定された放生橋(円覚寺)がある。

歴史

1451年(尚金福王2年)に造られた長虹堤を最初に、多くの石造アーチ橋が造られたが、第二次世界大戦によって、その多くが失われた。

朝鮮から贈られた「方冊蔵経」(高麗版大蔵経)を納めるため、1502年(尚真王26年)、円鑑池の中島に経堂が造られ、同時に石橋(かつては観蓮橋と呼ばれた[1])が造られた。1609年に薩摩藩によって経堂は破壊され、1621年に弁財天を祀る堂として新たに建てられると、橋は天女橋と呼ばれるようになる。1643年に第二次世界大戦で弁財天堂と橋の高欄を失うが、弁財天堂は1968年、高欄は翌年に復元されている。 1972年5月、国の重要文化財(建造物)に指定された。

参考文献

  • 松村博『日本百名橋』鹿島出版会
  • 現地の紹介看板

脚注

  1. ^ 脱炭素技術センター

関連項目



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「天女橋」の関連用語

天女橋のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



天女橋のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
文化庁文化庁
Copyright (c) 1997-2025 The Agency for Cultural Affairs, All Rights Reserved.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの天女橋 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS