天女橋
名称: | 天女橋 |
ふりがな: | てんにょばし |
名称(棟): | |
名称(ふりがな): | |
番号: | 1842 |
種別1: | 近世以前/その他 |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
指定年月日: | 1972.05.15(昭和47.05.15) |
員数(数): | 1 |
員数(単位): | 基 |
代表都道府県: | 沖縄県 |
都道府県: | 沖縄県那覇市首里当蔵町1-2 |
所有者名: | 那覇市 |
指定基準: | |
管理団体名: | |
管理団体住所: | |
管理団体指定年月日: | |
構造形式: | 石造単アーチ橋、高欄付 |
時代区分: | 室町後期 |
年代: | 弘治15(明)(1502) |
解説文: | 朝鮮から贈られた方冊藏経を納めるため円覚寺の前方に円鑑池を掘り、中之島を造って経蔵が建てられたが、この中之島へ架け渡された橋が当時観蓮橋と呼ばれた天女橋である。高欄付き石造單アーチ橋で中央アーチ上の床面を高くし、中国南部に多い駝背橋の形式をとっている。 戰前の沖縄には多くのアーチ橋が殘されていたが、そのほとんどが戰災で失われた現在天女橋はアーチ橋として最も整った遺構であり、意匠構造とも特色がある。 |
天女橋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/22 15:47 UTC 版)
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天女橋 | |
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基本情報 | |
国 | ![]() |
所在地 | 沖縄県那覇市 |
交差物件 | 円鑑池 |
建設 | 1502年 |
座標 | 北緯26度13分6.6秒 東経127度43分7.4秒 / 北緯26.218500度 東経127.718722度座標: 北緯26度13分6.6秒 東経127度43分7.4秒 / 北緯26.218500度 東経127.718722度 |
構造諸元 | |
形式 | アーチ |
材料 | 琉球石灰岩 |
全長 | 9.8m |
区分 | 重要文化財(建造物) |
指定日 | 1972年5月15日 |
指定コード | 01842 |
関連項目 | |
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式 |
天女橋(てんにょばし)は、沖縄県那覇市の首里城公園北側の円鑑池に架かる石造アーチ橋。国の重要文化財に指定され、日本百名橋の1つである。観蓮橋とも呼ばれる。
概要
円鑑池の中島にある弁財天堂へ渡る橋で、1502年(尚真王26年)に造られた、日本に現存する最古の石造アーチ橋である。 沖縄の古いアーチ橋は、アーチを構成する石が4つまでと少なく、要石(キーストーン)と言える部分が存在しない。これは城(グスク)の門の石積みアーチ技術を使ったものとみられる。天女橋の東側には、国の重要文化財に指定された放生橋(円覚寺)がある。
歴史
1451年(尚金福王2年)に造られた長虹堤を最初に、多くの石造アーチ橋が造られたが、第二次世界大戦によって、その多くが失われた。
朝鮮から贈られた「方冊蔵経」(高麗版大蔵経)を納めるため、1502年(尚真王26年)、円鑑池の中島に経堂が造られ、同時に石橋(かつては観蓮橋と呼ばれた[1])が造られた。1609年に薩摩藩によって経堂は破壊され、1621年に弁財天を祀る堂として新たに建てられると、橋は天女橋と呼ばれるようになる。1643年に第二次世界大戦で弁財天堂と橋の高欄を失うが、弁財天堂は1968年、高欄は翌年に復元されている。 1972年5月、国の重要文化財(建造物)に指定された。
参考文献
- 松村博『日本百名橋』鹿島出版会
- 現地の紹介看板
脚注
関連項目
- 天女橋のページへのリンク