天の川わたるお多福豆一列
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秋 |
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評 言 |
楸邨の最晩年の句集『怒涛』には、それまでのひたむきさとは違ってユーモラスな句やおかしみのある奇抜な句があって驚かせた。この「天の川」の句や、「ふくろふに真紅の手毬つかれをり」などがそうである。しかしその奥の深さが分かってみると、やはり楸邨は凄いなと思わざるを得ない。「ふくろふに」の句は、一茶の「鳴猫に赤ン目をして手まり哉」を意中にしたものであろう。「小児のあどけなさを」と前書があり、鳴く猫を前にして手まりをつくあどけない子供がいるのである。手まりを赤い目としたところに一茶のメルヘンがある。猫好きの楸邨だからこの句が当然記憶にあったろう。猫をふくろうをすることで凄みのある大人の童話となった。 「天の川」の句は、お多福豆が蚕豆のことで、蚕豆が西アジアで栽培されていたことを知ると楸邨の意図が見えてくる。お多福豆な顔は醜女を愛嬌をこめて呼ぶ表現である。それではなぜ蚕豆が諧謔味のあるお多福豆になったのだろうか。楸邨は四十七年、四十九年、五十年と三回シルクロードの旅をしている。五十一年は風邪で中止せざるを得なくなり、知世子夫人だけが行く。知世子は以後三回楸邨を残してシルクロードへの旅を続けた。楸邨夫妻のシルクロードへの情熱には打たれるばかりである。蚕豆を前にしてし浮くロードをはるばる旅してきたその由来が思われたのであろう。それは天の川をわたるような雄大な旅であり、悠久な時間を思わせる。今は行けないが、自らもそんな旅を辿ってみた。蚕豆の旅と重なるその旅の一行にふと知世子夫人を思い描いたのかもしれない。それは女性同士の旅であったろうか。楸邨はその一行を愛嬌をこめたお多福豆一列としたのである。 |
評 者 |
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備 考 |
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