大祭と競技進行次第
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/29 08:06 UTC 版)
「ピューティア大祭」の記事における「大祭と競技進行次第」の解説
デルポイ祭競技に関する証言記録や文書類は、意図的な湮滅の暴力と自然災害の結果、ほとんどが失われてしまった。残存している資料はいずれも、競技大会の栄誉や魅力を強調し取り上げている。 アリストテレスの記録によって、大祭の概略が得られる。競技大会は6日から8日のあいだ続き、アポローン神がピュートーンに打ち勝ち勝利を得た様子を再現する「聖なる競技」から始められた。陽気で魅力に満ちた祭の進行のなかで、アポローンの神殿において「大祭の犠牲」の献納式が行われた。祝祭の四日後、一般の競技が開始された。 音楽演奏と演劇のコンペティションは「劇場」で行われ、スポーツ競技は「デルポイのスタディオン」で開催された。チャリオット・レースは、峨々として険阻なデルポイの山容の景観も考慮して、近くのクリサの平野で行われた。 音楽の技芸競技として、以下のものがあった。 神アポローンを扱った讃歌一編 フルートとキタラ(古代ギリシアの弦楽器)の演奏-歌唱が付く場合と付かない場合 演劇と舞踊のコンペティション 絵のコンペティション デルポイの競技祭は名誉ある競技であった。競技の勝利者は、賞金を受け取るのではなく、オリュンピア大祭競技の場合に、「オリーブの小枝」を受け取るように、「月桂樹の小枝」を受賞した(これらの小枝は冠の形にして、オリーブ冠や月桂冠の形で勝者の頭上を飾った)。 時として、競争の賞品として林檎が提供され、勝利者は、象徴的な「椰子の木の小枝」をピューティア祭で受け取ることもあった。オリュンピア競技祭でも似たようなことがあった。特別な栄誉と称賛の贈物として、競技者たちのため、彫像がまた捧げられた(デルポイの地で発掘され出土した「チャリオットの御者像」は、このような競技の勝者の栄誉のために制作された像とも考えられる。右図参照)。とはいえ、勝利者が自身の故郷のポリスで受け取る名声は、何にも較べがたく価値があった。各ポリスは、その代表である競技者が、競技祭でできる限り優れた成功を収めることができるよう、あらゆる手を尽くし援助を惜しまなかった。
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