大砲撃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/05/03 09:28 UTC 版)
11月11日、包囲軍の迫撃砲が運用を開始された。最初の数日で砦に与えた損傷と言えば小さな6ポンド砲1門の砲架を壊したことだった。砦から放たれた砲弾が迫撃砲の火薬庫に着弾し、迫撃砲1門が破壊された。砦の砲手はジョージタウンの桟橋で荷卸しをしていた補給船1隻を沈めることにも成功した。この情報はマリーから11月12日と13日付けの2通の手紙で報告され、イングランドには12月4日までにもたらされた。イギリス政府からもマリー宛ての手紙が到着し、守備隊の勇気を称賛し、できるだけ早く救援を送ることを約束していた。実際にはジブラルタルも包囲されており、イギリスは1年以上の食糧備蓄を含め、1756年の戦い後にセントフィリップ砦に成された慎重な改良に依存していた。 スペイン軍砲兵による砦への砲撃が2か月近く続いた後の1782年1月6日が最終攻撃の始まりとされた。この攻撃の初日、100門のカノネード砲と35門の迫撃砲から砦の外郭に激しい砲撃が行われて損傷を与えたので、マリーは全将兵を砦の内郭まで退かせるしかなくなった。しかし、守備側を怯ませた砲撃によって、200門のカノネード砲と40門の迫撃砲を持っていた守備側も攻撃側に対する砲撃を始めさせることになり、1月12日にはもう1隻補給船を沈めた。その3日後、攻撃側が照準を良く定めた焼夷擲弾を重要な倉庫に命中させて炎上させ、報復を果たした。その倉庫には砦の物資の中でも塩漬け肉が多く保管されており、4日間燃え続けた。この頃にマリー知事と副知事のドレイパーとの関係が完全に破綻しており、ある不愉快な事件の後で、マリーがドレイパーを解任した。
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