大山道の成立とは? わかりやすく解説

大山道の成立

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/22 09:27 UTC 版)

大山道」の記事における「大山道の成立」の解説

大山へ参詣者が各地から通る道は「大山道」と呼ばれ道標にも記載された。『大山史』(1984年10月)には、「山中田野將た海邊大山道記せ石標の実に壘々たるを見るべし」との記載がある。平成19年20年伊勢原市教育委員会では、「再発見大山道調査」と称する調査行い大山道道標含め107基の道標確認したとした。その調査によると、道標記載のある「大山以外の地名では、「日向」、「伊勢原」、「厚木」、「戸田」、「飯山」、「荻野」、「金目」、「田村」、「平塚」、「十日市場」、「大礒」等があるとされた。これらの中で、「大山」または「大山道」と記載のある道標39基あるとされた。なお、道標作成には七沢石の一つある日向石が多いが、一部伊豆石作成されたものもあったという。 大山道大山中心に放射状広がり関東地方四方八方の道がほぼ全て大山通じ状況となった。『相模大山街道』(大山阿夫利神社1987年3月)によると、大山道は、それぞれ江戸から、甲州から、武蔵からの道などに分類できるとされる。最も主要な経路として、東海道方面からの「田村大山道」があり、藤沢四ツ谷から相模川田村渡し利用するまた、江戸からの代表的な経路として「矢倉沢往還」があり、江戸城赤坂御門から出発し箱根の北にある矢倉沢関所経由する。なお、「往還」は「行き来する」あるいは「街道」を意味する。他、枚挙に暇がないほどの経路開拓された。 大山道沿道相模川渡船場などでは、宿場として栄える所もあった。大山からの帰路には江ノ島鎌倉などの観光行われるなどし、大山参詣一種レジャーでもあった。古典落語の「大山詣り」もそうした背景から成立したものと考えられている。 大山には海上から船旅通じて参詣もあり、特に現在の神奈川県横浜市金沢区武州久岐郡洲崎野嶋浦)から房総上総国周准郡富津村)への船旅道筋主なものとされ、これらの移動手段含めると「大山道」の多種多様ぶりが一層際立つとされるまた、富士講による富士山への参詣者も同じ道筋通ったことから、一部の道には「ふじ大山道」という名称も見られた。富士山への参詣者も必ず大山にも参詣するのが通例となっていたという。

※この「大山道の成立」の解説は、「大山道」の解説の一部です。
「大山道の成立」を含む「大山道」の記事については、「大山道」の概要を参照ください。

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