大山道の成立
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大山への参詣者が各地から通る道は「大山道」と呼ばれ、道標にも記載された。『大山史』(1984年10月)には、「山中田野將た海邊に大山道と記せる石標の実に壘々たるを見るべし」との記載がある。平成19年・20年に伊勢原市教育委員会では、「再発見大山道調査」と称する調査を行い、大山道道標を含め107基の道標を確認したとした。その調査によると、道標に記載のある「大山」以外の地名では、「日向」、「伊勢原」、「厚木」、「戸田」、「飯山」、「荻野」、「金目」、「田村」、「平塚」、「十日市場」、「大礒」等があるとされた。これらの中で、「大山」または「大山道」と記載のある道標は39基あるとされた。なお、道標の作成には七沢石の一つである日向石が多いが、一部に伊豆石で作成されたものもあったという。 大山道は大山を中心に放射状に広がり、関東地方の四方八方の道がほぼ全て大山に通じる状況となった。『相模大山街道』(大山阿夫利神社、1987年3月)によると、大山道は、それぞれ江戸から、甲州から、武蔵からの道などに分類できるとされる。最も主要な経路として、東海道方面からの「田村通大山道」があり、藤沢四ツ谷から相模川の田村の渡しを利用する。また、江戸からの代表的な経路として「矢倉沢往還」があり、江戸城の赤坂御門から出発し箱根の北にある矢倉沢の関所を経由する。なお、「往還」は「行き来する」あるいは「街道」を意味する。他、枚挙に暇がないほどの経路が開拓された。 大山道沿道や相模川の渡船場などでは、宿場として栄える所もあった。大山からの帰路には江ノ島、鎌倉などの観光も行われるなどし、大山参詣は一種のレジャーでもあった。古典落語の「大山詣り」もそうした背景から成立したものと考えられている。 大山には海上から船旅を通じての参詣もあり、特に現在の神奈川県横浜市金沢区(武州久岐郡洲崎村の野嶋浦)から房総(上総国周准郡富津村)への船旅の道筋は主なものとされ、これらの移動手段を含めると「大山道」の多種多様ぶりが一層際立つとされる。 また、富士講による富士山への参詣者も同じ道筋を通ったことから、一部の道には「ふじ大山道」という名称も見られた。富士山への参詣者も必ず大山にも参詣するのが通例となっていたという。
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